映画『インセプション』解説・考察|ラストの解釈、サイトーやモルについてなど16の考察 | 映画の解説考察ブログ - Part 3

映画『インセプション』解説・考察|ラストの解釈、サイトーやモルについてなど16の考察

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SF

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虚無の世界


(引用:https://xenlogic.wordpress.com

『虚無』は日本語字幕で使用されていた表現ですが、原語では『limbo』と言っています。
『limbo』はキリスト教用語で『天国でも地獄でもない場所』を意味します。
日本人にはあまり馴染みのない言葉だと思います。(キリスト教徒であれば別かもしれません)
この他にも『中間』、『忘却のかなた』などの意味があるようです。

『虚無』の世界については『形のない夢』、『潜在意識しか存在しない場所(落ちた者が何か残していれば別)』、と発言があります。
つまり、第3階層より下は虚無の世界で、そこは夢の中で死んで現実に戻れなかった者がたどり着く共通の世界ということになります。
虚無の世界の時間経過については明言されていませんが、単純に4階層目だと仮定すると、虚無は現実世界の10時間が182年になります。

虚無の世界に建物や景色があったのは、コブとモルが虚無の世界に住み着き、50年かけてお気に入りの町を作り上げたからです。

 

コブが自宅に帰れなかった理由

コブはモル殺しの容疑者になってしまい、アメリカで指名手配されていました。
理由は、モルが自殺する直前に『夫に命を狙われている』という旨の手紙を弁護士に送っていたからです。
なぜそんなことをしたのか理由は明言されませんが、モルが現実を夢だと思い込んで精神錯乱していた点、コブに一緒に来て欲しがっていた点を考えると、モルはコブに信じてもらえないのを半ば恨めしく思い、『どうせ夢だから』という気持ちで安易に起こした行動だったのかもしれません。

 

コブの投影としてのモル


(引用:https://www.reddit.com

コブの投影として度々夢に現れたモルについて考えます。
投影の存在は少し上でも説明しているので、被る内容があったらすみません。

アリアドネが『罪悪感がモルを生みだした』と言っていたように、モルはコブが抱える罪の意識が具現化した存在だったようですが、彼女は『勝手に生まれた』のではなく、コブが『生み出そうとして生み出していた』存在だったことが、「似せてみたけど本物とは違う」という発言で発覚します。
モルの死を受け入れられなかったコブは、虚無の世界で街を作ったように、モルも作ったということです。

しかし、投影のモルはやはり『コブが生み出したモル』でしかないことは、彼女の言動全てが物語っています。
コブは本物ではない(モルの魂が宿っているような存在ではない)ことに気付き、たとえ夢の世界でも彼女と生きることはもう不可能だと悟り、モルの死を受け入れ、現実世界で子供たちと生きる道を選んだのではないでしょうか。

子どもと生きることが2番目の選択肢のようになってしまいますが、恐らくコブの優先順位はモルと一緒に生きる道が1番だったはずです。
もし投影のモルが本物の彼女そのものの存在だったとしたら、コブは現実を捨てて虚無の世界に残っていたのかもしれません。

個人的にモルは、映画『マシニスト』のアイバンに似ているな〜と思いました。

 

老人になったサイトー

インセプション
©2010 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

虚無の世界にはコブの方が先にいて、サイトーが後から落ちていたはずなのに、コブがサイトーを見つけた時、コブは若いままなのに対してサイトーはよぼよぼの老人でした。

コブが若いままだったのは、恐らくコブが夢を夢だと認識していたからで、サイトーが年老いたのは夢の中(第3階層)で死んでしまったため、夢を現実だと思い込んでいたからです。

また、コブと再会したサイトーが老人だったのは、モルがロバートを隠していたように、サイトーもどこかに隠していて、隠し場所を教えずに死んだ(消滅)からで、コブは彼を見つけるのにそれほどの年数がかかってしまったことを表していたんだと解釈しています。

モルの望みは夢の世界でコブとずっと一緒にいることだったので、コブが現実の自宅に戻れる手段を持っていたサイトーをモルが放置するわけがありません。

隠されていたサイトーを見つけるのに何年もかかったのはまだ理解出来ますが(サイトーの見た目年齢からしても時間がかかり過ぎていた気もします笑)、コブは漂流した挙句偶然たどり着いたみたいになっていた理由がわかりません。
虚無の世界に街を作ったコブなら、交通手段を作ることも可能なはずだからです。
漂流に至った経緯にもう少し説明が欲しかったです。。




フィッシャー家の企業


(引用:https://anakin-skywlker.tumblr.com

ロバートは深層心理に『親とは別の道を歩む』というアイディアを植え付けられたので、会社から離れるのは確実です。
ですが、サイトーの希望だったロバートの代で会社を畳むまでにはならないんじゃないかなと個人的には思いました。
現在、会社を動かしていたのはブラウニングだったようですし、ロバートが後継者を辞退してブラウニングに譲るのが一番自然な流れになる気がします。
もしかしたらロバートはサイトーも恐れるような経営手腕を持っていて、ロバートさえ抜ければ後は思いのままだと考えていたのなら、サイトーの希望通りになったと言えるんでしょうが、どうなんでしょう。地味に気になります。

 

子どもの顔を見ようとしないコブ


(引用:https://visualculture.blog.ryerson.ca

夢の世界で、コブが子どもの顔を頑なに見ようとしない理由を考えてみます。
自信のある答えは思い浮かびませんでしたが、コブはモルを結果的に自殺に追い込んでしまった罪悪感を常に抱き続けています。
『投影のモル』と一緒に現実を捨てて夢の中で暮らすことも検討しましたが、やはり本物じゃないと意味がありませんでした。

そんな中で、コブの唯一の生きる希望(心の拠り所)となるのはフィリッパとジョーンズです。
2人の子ども達だけが、コブが現実世界を生きる意味になります。
コブが夢の中で子ども達の顔を見ようとしないのは、コブを現実とつなぐ唯一の存在の価値(本物の子どもに対する愛と執着)を守りたかったからではないでしょうか。
夢の中に出てくる子供たちは、当然コブの投影の子ども達なので、愛おしい存在です。
可愛い当時のままの子どもたちを直視してしまえば、現実世界を生きてコブの帰りを待っている本物の子どもたちに対する執着(=現実に対する執着)が薄れてしまう可能性があります。
言い変えると現実への執着が薄れることを恐れて、フィリッパとジョーンズの顔を見たくなかったのかな、と解釈しています。

 

ラストの解釈


(引用:https://www.express.co.uk

ラストはコマが止まるか止まらないか微妙なところで終わるので、『夢のまま』と『現実に戻った』で意見が別れるようですが、私は『現実に戻った』と解釈しています。

数年ぶりに自宅に戻ったコブは、家の中の雰囲気に全く変化が無かったため、不安になってトーテムのコマを回しますが、その直後に現れたフィリッパとジェームズを見た瞬間、コマから目を離してすぐに駆け寄っていきます。

これはコブが夢か現実かを気にすること自体をやめた(放棄した)わけではなく、目の前に現れた子どもたちが成長しているのがひと目でわかり、現実だと確信したからコマが倒れるのを確認する必要がなくなったんだろうと思いました。

コブの記憶の中の子どもたちは最後に見た時の年齢のままも止まっているので、もし夢だったら子どもたちは恐らく最後に見た時そのままですが、彼らがちゃんと成長していたので、コマを見るまでもなく現実だと確信したのではないでしょうか。
それにコマの回り方が夢の中の回り方とは違っていた点と、夢の世界でコブが着けていた指輪が無い点も、現実だと物語っていたように思います。

子どもたちの成長でコマを見るのをやめたと考えたのは、幼い姉弟と、成長した姉弟と、それぞれ別の子が演じていたことにエンドロールを見て知ったからです。
映像だけでは違いが微妙過ぎてわかりませんでした。。

コブの子どもたちを演じたのはラストネームが同じだったので本物の3人姉弟の子役達だったらしく、プチ驚きでした。
ちなみに赤ちゃんのジェームズ役はノーラン監督の実のお子さんだったそうで、こちらも驚きでした。

以上です!読んで頂きありがとうございました(__)
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