映画「誰も知らない」ネタバレ解説|明達のその後の考察、元となった事件の概要など | 映画の解説考察ブログ - Part 2

映画「誰も知らない」ネタバレ解説|明達のその後の考察、元となった事件の概要など

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誰も知らない クライムドラマ

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©2004-2007『誰も知らない』製作委員会

本作は、1988年に起きた『巣鴨子供置き去り事件』を元に、監督が10年以上にわたって取材を行い構想を練り、映像化された作品です。
この事件の詳細を知ると、本作が軽めに修正されていることがわかります。

巣鴨子ども置き去り事件とは


(引用:https://unsplash.com

事件の概要

1988年、埼玉県で4人の子どものシングルマザー(当時40歳)の育児放棄が原因で、当時2歳だった三女が命を落とした他、様々な問題が明るみになり、母親、長男、長男の友人が逮捕された事件です。
ネグレクトが問題視されていた当時でも極端に酷いケースとして注目を集めました。

1988年4月、部屋が長男の友人達のたまり場になっていたことと、子どもしか住んでいないことに気付いた大家が通報したことから事件が発覚します。
まず、通報を受けた警察官が子どもたちから話を聞いて、保護者が長期不在だと判明。この部屋に住んでいた子どもたち3人が保護されました。

映画では長男(12~13歳)、長女(10歳位)、次男(8歳位)、次女(4歳位)の兄妹構成でしたが、当事件は長男(14〜15歳)、長女(6〜7歳)、次女(3〜4歳)、三女(2〜3歳)でした。
子どもたちは全員父親が違い、さらには全員の出生届が出されていない、いわゆる『無戸籍児』でした。

無戸籍児とは、出生届が出されていないために戸籍が無く、社会から認知されていない子どもです。
戸籍がないため学校にも通えず、存在が知られることもありませんでした。
これらの時点から既に母親の責任感の無さが垣間見えます。

その後、家宅捜索が行われると、押し入れの中から白骨化した乳幼児の遺体が発見されます。
この子は順番としては長女と次女の間の子にあたる次男の骨でした。
次男の死因はわかりませんが、母親は次男の遺体を消臭剤と共にビニールにくるみ、押入れにしまい込んでいたのです。
次男も無戸籍児なので、事件が明るみになるまで存在していたことすらわからなかったのです。

事件が報道されると、母親が警察に出頭しました。
母親は1987年10月から、長男に子どもたちの世話を任せて愛人宅に住んでいたことを明かします。
子どもたちと再会した母親が、警察に『三女がいない』と訴えます。
保護されていたのは長男、長女、次女の3人でしたが、母親は5人子どもを産んでいて、生きていたはずの三女がいないと言います。

1973年生まれの長男→保護
1982年生まれの長女→保護
1983年生まれの次男→1985年に死亡。押入れの遺体。
1984年生まれの次女→保護
1985年生まれの三女→行方不明

その後の聞き取り調査で、三女は殺されて埼玉県秩父市内にある雑木林の中に捨てられていたことが判明しました。
三女は、長男の友人2名(当時12歳)に『おもらししたから』という理由で折檻(暴行)を受けて亡くなりました。
その後、悪臭がしたため山に埋めたそうです。

長男と友人の不良少年2人は、映画では万引きの強要をきっかけに疎遠になっていましたが、本事件では母親が出ていってから割とすぐ子どもたちの部屋に入り浸るようになり、事件が発覚した頃には1人が居候同然に住んでいたそうです。

三女を殺したのは長男の友人ですが、原因は間違いなく母親の育児放棄にあります。
その後の裁判で、母親は『保護責任者遺棄致死』の罪で『懲役3年、執行猶予4年』の判決が下りました。
長男は『傷害致死及び死体遺棄』の罪で東京家庭裁判所に送致され、特殊な状況下に置かれていた事などが考慮されて教護院に送られました。
この長男は教護院から出た後で中学校に入学し、生徒会長も務めたそうです。

三女の殺人に関与した少年2人も未成年だったため、長男同様教護院に送られました。
この2名のその後は不明です。




母親について

母親は、事件が起こった1988年からさかのぼること15年前の1973年、夫と一緒に暮らして長男を設けましたが、長男が6歳の頃に夫が蒸発します。
その後、長男の就学通知が届かないことを不審に思った母親が役所を訪ねると、夫に頼んでいたはずの長男の出生届も、婚姻届すらも出されていなかったことが発覚しました。
出生届を出していないことが母親にバレるタイミングで父親が失踪している辺り、確信犯的なものを感じます。

「婚姻届けを出した」と嘘を付かれて6年以上も事実婚状態で一緒に暮らし、挙句突然逃げられたショックは想像を絶するものがありますが、母親は長男のことを役所に相談などもせず、そのまま放置しています。

その後、母親は数人の男性との恋愛を経て長女、次女、三女を続けざまに産みますが、いずれの父親とも破局しており、誰の出生届も出していません。

母親は1987年の10月、長男にお金を渡して妹たちの世話を頼むと、恋人と同棲するためにアパートからひとりで出ていきました。
その後、母親はたまに子供たちが待つ部屋に様子見程度に帰っていたようですが、お正月以降は様子を見にくることもなくなり、お金が毎月現金書留で送られてくるのみになります。
最初は約8万円あった金額も徐々に減っていき、仕送りが無い月もあったようです。

小学校1年生程度の妹に加え、幼稚園児以下の2人の妹の責任をたったひとりで背負わされた長男がどんな思いで生活していたのか、本人以外には想像もつきません。

整理のために時系列にまとめたので合わせて記載します。

1973年 10月 長男を病院で出産。
1979年     夫が蒸発。婚姻届けと長男の出生届の未提出が発覚。
1982年 11月 長女を自宅で出産。
1983年 11月 次男を自宅で出産。
1984年   9月 次女を自宅で出産。
1985年   2月 次男死亡。押入れに遺棄。
                9月 三女を自宅で出産。
1987年   10月 巣鴨に引っ越し。
          母親不在がちになり、子ども達だけになる。
          長男が不良少年2人とつるむようになる。
1988年   1月  母親が完全に帰ってこなくなる。電気等が止まる。
              2月  この月から家賃滞納。
              4月  長男の友人が三女を殺害。雑木林に遺棄。
              7月  事件発覚。母親、長男、友人2人逮捕。
              8月  子どもたち5人の出生届と2人の死亡届を提出。
 

明たちのその後を考察

誰も知らない

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ゆきが居なくなった後も変わらない生活を続ける様子で終わってしまいましたが、個人的にはYOU演じる母親が逮捕されるまでが見たかったです(切実)

『身近に助けが必要な子どもがいるのに気付かない、または見て見ぬフリをする大人たち』にも焦点が当てられていたように感じました。
そのため、逮捕までの流れをあえて描かず、観客に『この子たちをどうすれば救えたか、あなたならどうするか』を考えて欲しかったのかもしれません。 

本題の明たちのその後ですが、実際の事件でもそうだったように、大家が通報して保護されることになるのでしょう。
家賃滞納の件で大家が自宅を訪ねていましたし、大家は平日の昼間に学校に行かず、制服姿で部屋に居る紗希も目撃していますし、自由に外出する茂たちを何度も見かければ、さすがにおかしいと気付くでしょう。

大人に頼ることを諦めた明の心情を考えると心がギュッとなり、無責任な母親や父親の男たちに怒りがこみあげてきます。
自ら助けを求めないと、助けが必要かどうかを他人が知ることは難しいんだな、という事もわかりました。
深刻な状況なのに、どこかほのぼのとする音楽や子どもたちや母親の楽し気な表情(特に種や土を拾っていたシーンや、旅行用カバンから茂とゆきが出てくるシーン)が危機感を麻痺させます。
子どもを持つ親に限らず、一度は見て欲しい映画です。

以上です。読んで頂きありがとうございました。
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・是枝裕和監督作品

・参考サイト様一覧

・Wikipedia:巣鴨子供置き去り事件
・MATOMEDIA:巣鴨子ども置き去り事件の長男と母親の現在!知的障害の噂やその後も解説

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