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ラストのテディの選択
ラスト、テディはシーアン医師に対してレディスであることを忘れて再び保安官テディに戻ってしまったかのような振る舞いをしました。
ロールプレイ治療の効果が無かったと判断したシーアンは、近くに居たコーリーに「ダメだ」と視線で合図を送り、テディはロボトミー手術を受けることが決まりました。
この直後、テディは「善人として死ぬか、モンスターとして生きるか、どっちが良いだろう」と発言して、レディスとしての記憶が消えていない(コーリーの治療が効いた)ことを暗に伝えます。
『善人として死ぬ=ロボトミー手術を受けて【良い子】になる』か、『モンスターとして生きる=ロボトミーをせずにトラウマに苦しみながら生きる』か、という意味です。
シーアンはテディの意向をくみ取って何も言いませんでした。
コーリーとシーアンは、正気になったレディスがロボトミーを受ける選択をするとは夢にも思っていなかったのでしょうが、レディスにとって『4人の家族を殺した』という事実はやはり受け入れがたいものだったのです。
レディスにとって真実(家族を失った記憶)は、もし捨てられるなら他のすべての感情や思考能力を一緒に捨てても構わないと思う位辛かったのです。
レディスは真実が受け入れられないから本能的に記憶を捏造してテディになっていたので、強制的に正気を取り戻してもやはりレディスには辛すぎて、トラウマを乗り越えられる未来が想像できなかったのでしょう。
簡単に言うと統合失調症は克服したものの、今度は鬱症状が出ていたのではないでしょうか。
コーリーとシーアンはレディスの統合失調症治療に気を取られていて、レディスが正気に戻った後、辛すぎる過去とどう向き合うか話し合うこと(アフターケア)をおろそかにしていたように感じました。
ここをもっと大事にしていれば結果は違っていたと思います。
よく考えてみると、ロールプレイング治療は被験者を全員で騙すのがデフォなので、裏切られた感が残るというか、あまり後味の良い治療方法ではないと思いました。
衝撃的な事実を知らされる上に、上層部にはモルモット的な目線で見られていたことも、正気に戻った後にわかるんですもんね。
医者や医療が信用出来なくなるし、元々精神不安定な人物に仕掛けるにはちょっと疑問が残ります。
ロールプレイ治療は精神的ショック療法であって、正気を取り戻した後の患者の気持ちなど様々な配慮に欠けていたので、画期的ではありますが、改善の余地のある治療方法だと思いました。
原作小説のラストは違う?
この映画は原作小説に非常に忠実に作られていますが、ラストの意味合いが変更されています。
意外なことに、小説のラストには『善人として死ぬか、モンスターとして生きるか』というアンドリューのセリフは存在しません。
映画のラストは『テディは治療が効いて正気を取り戻したが、自らロボトミー手術を受ける選択をした』のに対し、小説は『アンドリューに治療の効果が出たのは一時的で、彼は再び保安官テディに戻ってしまったので、医師たちは彼にロボトミー手術をすると決めた』という結末になっています。
小説の結末で面白いのは、テディは本当に島から脱出したのかもしれないとも考えられる所です。
小説では、テディは「どうやって島から脱走してやろう」と考えている時に警備員に囲まれたところで物語が終わります。
つまり、テディはこの後また脱走しようとすることが仄めかされています。
島から脱出する方法は2つあり、毎日午前11時に島を出る船に乗るか、数日おきくらいに島の周辺を通る漁船に拾ってもらうかのどちらかです。
この日、ロールプレイングが終わって警備は通常通りに戻っていますし、テディが警備員に囲まれたのが何時ごろかはわかりませんが、午前中であることは確かです。
なので、テディは警備員に囲まれた後、奇跡的に島から出た可能性はゼロではないのです。
小説には、映画には描かれない『プロローグ(シーハン医師の日記)』があります。
本編の後の解説には『本編を読み終えたらプロローグを注意深く読み返していただきたい。それ自体が巧緻なミスディレクションであり、最後に大胆な伏線が潜んでいたことに気付かされるはず』とあります。
シーハン医師の日記の日付は、テディの実験が行われた1954年から40年後の1994年で、日付は奇しくもアンドリュー・レディスがアッシュクリフに入所した日と同じ5月3日です。
日記には、シーハンは1970年代に島を離れてから一度も島を訪ねていないことや、シーハンの妻は、脱走患者レイチェルの演技をしていた看護師エミリーであることや、シーハン自身にも恐らく認知症の症状が出始めていることが書かれています。
アンドリューの実験の後、シーハンは島から出ようとするネズミを観察するのが日課になったと書いています。
もし実験の後にテディが逃げていたとしたら、シーハンは最初はテディを探して海岸線を眺め続けていて、それがいつしか日課になり、ネズミの観察にシフトしたようにも捉えられます。
シャッターアイランドの近くには1日の内に2時間だけ海上に顔を出す小さな島(岩)があり、毎日たくさんのネズミがその島めがけて泳いでいきますが、皆失敗して溺れ死ぬか、波で島に押し戻されます。
このネズミは、正気に戻ろうとしても戻れないアッシュクリフの患者たちの症状の深刻さや精神的苦痛の大きさを暗喩しているようにも見えます。
シーハンは「1度だけ、1匹の巨大ネズミがその岩島にたどり着いているのを見た気がするが、見間違いだったかもしれない。もしテディと一緒に見ていたら、彼はネズミに拍手を贈っただろう」と書いています。
本編を読んだ後にシーハンの日記を読み返すと、その巨大ネズミには、テディが逃亡に成功した(していてほしい)というシーハンの願いが込められていたように思えるのです。
レイチェル・ソランドーの正体
レイチェル・ソランドーという人物は実在せず、テディが妄想で作り上げていた『行方不明の女性患者』でした。
アッシュクリフに来てからの2年間テディがずっと探していた人物だったので、治療テストでは病院側がレイチェルを実在しているかのように見せていました。
レイチェル・ソランドーは夫をノルマンディー上陸作戦で失い、妄想に囚われて3人の子どもを殺してしまったという設定の患者でした。
また、アンドリューの娘の名前もレイチェルなので、レイチェル・ソランドー自体がドロレスと娘レイチェルがいっしょくたになったような存在です。
レイチェルの部屋から出て来た靴が男性用だったのは、そこが本当はテディの部屋であることを意味していますが、テディは幻覚補正で靴が男性用だとは気づきません。
ロールプレイング中にレイチェルを演じていた人物が、その後はナースとして登場します。
彼女がもし本当にアッシュクリフで働くナースだとしたら、患者レイチェルとしての演技が上手すぎませんか?と思ってしまいますが、そこは触れずにおいときます。
患者レイチェルはなぜひょっこり現れたのか
そもそも存在しないレイチェル・ソランドーを行方不明にさせたのは、テディにレイチェル・ソランドーが存在せず、テディ自身が患者だと気付いてほしかったからです。
チャックが「レイチェルという患者は存在するのか?」と言うのは、テディに早く「彼女が存在するかどうか」に注目して欲しかったからです。
レイチェルの部屋として案内した部屋も、ちゃんと見ればテディの部屋だと気付くはずなのに気付かなかったのは、テディの注意がレイチェルよりも『レディス探し』に向いていたからです。
なので、コーリーはテディの意識が向いていたレディス方面から真実に近付く方向にシフトしました。
病院の対立構造
コーリー院長は、医者には『保守派→ロボトミー推進派』、『改革派→新薬投与派』、『進歩派→患者と対話して根本治療派』の3つのタイプがあって、コーリー自身は『進歩派』で、『法と秩序と医療の融合』が目標だと語っていました。
一方で、理事長ネーリング医師と警備隊長はテディにロボトミーしようとしていたので『保守派』であることがわかります。
1959年という年代を考えると、アメリカではまだロボトミー手術は合法であり、ちょうど倫理的・人道的な観点から禁止が検討され始めたような変化の時代です。(ロシアではこの頃既にロボトミーを違法にしています)
テディのテストそのものが『保守派』と『進歩派』の治療方針の対立から生まれたものでした。
コーリーはテディに対する情だけで動いているのではなく、テディほどの危険な患者をロボトミー無しで治療出来れば、『進歩派』の勢力拡大が狙えるという戦略的な意味も含まれていました。
ジョージ・ノイスについて
テディがC棟で出会ったジョージ・ノイスは何者だったのか考えます。
コーリーは「2週間前にノイスの発言に怒った患者がノイスをボコボコにした」と語っていました。
ノイスを殴った患者というのはテディで、原因はノイスが「テディ=レディスだ」と告げて、受け入れられなかったテディが逆上して殴ったと想像できます。
一方でノイス本人は「俺はお前のせいで連れ戻された。ロボトミー手術を受けさせられる」と怯えていました。
ノイスが純粋な被害者だったらテディとの暴行事件だけが原因でA棟からC棟に移動というのは考えにくいです。
それに「1度は出られても2度目は無い」という気になる発言からしても、ノイスも何かを計画していた可能性が高く、それは恐らく脱走計画だったのではないでしょうか。
ジョージ・ノイスはテディの『元相棒』かもしれない
テディは過去2年間『テディ保安官→自分がレディスだと気づく→テディ保安官に戻る』をループしていた点、テディに2人1組の行動が染みついている点から、ノイスは『チャックの前の相棒』だったのかもしれないと推測しました。
完全に妄想で補完していますが、テディとノイスがA棟の患者だった頃、テディはノイスを相棒認定して「ここから出よう」と言い出します。
ノイスはテディの案に便乗して脱走を図ったものの、見つかって連れ戻されてしまったのです。
ノイスが「お前のせいで連れ戻された」と言うのは、脱走は途中まで成功していたのに、テディの幻覚が原因でノイスと喧嘩になった挙句 警備員に見つかってしまい、連れ戻されたのが『2週間前』だった ということなのかもしれません。
この脱走計画が、テディとノイスがロボトミー候補になった決定打ではないかと推測しています。
警備隊長について
警備隊長は理事長サイドの人間で、テディにロボトミーを受けさせたいと考えていた人物でした。
名も無き警備隊長でしたが、テディは隊長が初登場した時から既に危険視して警戒していました。
記憶を失くしているテディにとっては初対面だったのかもしれませんが、実際には2年の間に何度も顔を合わせているはずなので、彼が危険だということをテディの無意識(本能)が知らせていたのでしょう。
隊長がテディを嫌っているのは会話の内容からも垣間見えます。
恐らく警備隊長は暴れるテディを何度も抑えたことがあり、その危険性を知っているので理事長側につくのは理解できます。
もしかしたらテディにかなり深い怪我を負わされたこともあるかもしれません。
警備隊長がテディに暴力をオススメするのは、テディは暴れれば暴れるほど状況が不利になるからです。
ちなみに原作小説では警備隊長は登場せず、暴力について語るのは理事長です。
ソランドー医師との関係
コーリー医師はテディが洞穴で出会ったレイチェル・ソランドー医師について「幻覚だ」ときっぱり言っていましたが、若干疑問があります。
テディとソランドー医師が会う前、テディの足元に大量の黒いネズミちゃんが現れます。
数の多さからしてネズミそのものは幻覚だった可能性が高いですが、アメリカでネズミは『裏切り者』や『裏の顔を持つ人』を象徴することが多いです。
なので、洞穴のソランドー医師は理事長と警備隊長が用意した役者か病院関係者だったのかもしれません。
コーリー(とシーアン)はそのことを知らなかったので、幻覚だと決めつけたのです。
他の理由としては、ソランドー医師と別れた直後に警備隊長がテディの前に現れて「神からの贈り物は受け取った?」と発言する点です。
隊長は話題を「暴力」にすり替えていましたが、「贈り物=ソランドー医師」だったようにも受け取れます。
テディが2年間ループ行動していたのであれば、隊長はテディの行動を予測しやすいです。
なので、テディは以前にもあの洞穴を見つけて入ったことがあるとしたら、隊長が計画的に役者を配置していた可能性はあり得ます。
それに加えて、ソランドー医師がテディに触れていた点も、彼女が実在していたように思える描写です。
その他の疑問
その他の細かな疑問を考えます。
カーンズとブリーン
チャックの目を盗んでテディの手帳に『RUN(逃げろ)』と書いた女性患者カーンズの意図についてです。
そもそも、カーンズもブリーンも、2人のレイチェル・ソランドーも本物の患者ではなく恐らく病院側で雇った役者です。
それはテディが警備隊長に送ってもらった後、施設の大部屋に誰も居なくて全員会議室から出て来たシーンで判明します。
医師や看護師は本物の職員なのかもしれませんが、患者は全員重い心の病ですし、病院側が狙った反応や発言をしてくれるとも思えないので、治療者とよほどの関りが無ければ治療に参加はさせないでしょう。
シーアンの発言『大がかりな治療』とも繋がります。
なので、本物の患者は冒頭に登場した足かせをはめられていた人々やC棟にいた全裸囚人だけだと思われます。
カーンズが『RUN』と書いたのはなぜ?
彼女は一見、親切心からテディに警告を発していたようにも見えますが、終盤でテディを見て笑っている描写がありました。
また、テディはチャック(シーアン医師)の目の前で、カーンズに「シーアン医師に口説かれたことは?」とか「シーアン医師はどんな人?」など非常に気まずい質問を繰り返しています。
カーンズの態度から考えると、彼女は精神病患者を見下しておちょくるタイプの人物だったように思えます。
テディが「レディスを知ってる?」と聞いた直後に彼女が黙って震えるのは何かを我慢しているからで、それはレディスの情報が言いたかったのではなく『笑いを噛み殺していた』だけなのでしょう。
『RUN』のメモも同様に、カーンズが「テディが本当に島から逃げたら面白いのに」と思ってテディに書き残したのではないかと個人的には思っています。
カーンズのコップ
また、彼女が水を飲むときにコップを持っていないように見える謎のシーンも気になりました。
3回くらい見直したんですが、カーンズはチャックからコップを受け取って、右手で飲む仕草をしていますが、コップをテーブルに置くのは左手です。
さらに、置いたコップは空なのに、彼女が席を立つ時には水が入ったままになっていました。
なんか奇妙なシーンですが、恐らく『テディに見えている景色』と『現実の景色』に乖離があることを示唆していたのではないかと思われます。
次に続きます。
最後は細かい伏線のまとめです。
感想などお気軽に(^^)