映画「みなに幸あれ」の解説考察②です!
鑑賞済みの方向けの記事です。まだ見ていない方はネタバレにご注意ください。
本編時間:89分
制作国:日本
監督:下津優太
脚本:角田ルミ
総合プロデュース:清水崇
原作:短編映画「みなに幸あれ」
出演:古川琴音、松大航也、犬山良子 ほか
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※この記事の情報は2024年8月時点のものです。最新の配信状況は各配信サイトにてご確認ください。
解説・考察、感想など
祖父母の様子がたまにおかしくなるのはなぜ?
祖父母はたまに一時停止のように止まってしまったり、バグが起きたみたいに歩いて何度もドアにぶつかったり奇行がありました。
この映画に登場する犠牲者の特徴は「何も考えていない(考えるのをやめている、バカになっている)」点です。
祖父母は「幸福を得る側」ではありましたが、もっと大きな何かから搾取されている「犠牲者でもある」(搾取しているし、されてもいる)ことを示しているか、
もしくは祖母の妊娠が「幸福」だとするなら、祖父母は妊娠によって今ある「幸福」を使い果たし、おじさんでは受け止め切れない「不幸」が押し寄せた影響の奇行なのか、どちらかなのかなと推測しています。
祖母の指チュパの意味は?
祖母が祖父の指を口に出し入れするのはセックスの簡易表現だったと思われます。
この夫婦にはまだ夜の生活があるということなのでしょう。
祖母がテーブルの下に隠れていた孫と目が合って笑うのもキモさを煽ってましたが、あれは祖母の幸せアピールだったのか?と推測しています。
監禁部屋にあった味噌の意味は?
孫が監禁おじさんを救出した時、おじさんのそばに祖母お手製の味噌が入ったタッパーが置かれていました。
おじさんのお腹には穴が空けられそこからチューブが伸びていていましたが、よく見ると穴の辺りは、肝臓や胆のうや十二指腸がある場所になります。
そうなるとおじさんの栄養源は腕の点滴だけで、お腹の穴は胃ろうではなく、胆汁(胆のうで作られる消化液)を採取するための穴だったと思われます。
味噌が置いてあったのは、味噌に担汁を混ぜていたからです。
家畜(牛や豚)の胆汁はタイやフィリピンでは大人向けの健康調味料感覚で使う料理が多くありますし、日本や中国だと漢方の一種に熊の胆のうがあることで有名です。
胆汁には脂質の消化促進とビタミン吸収促進作用、老廃物の排泄、コレステロール値の正常化などの作用があります。
老夫婦にはうってつけの健康食材ですし、脂っこい豚バラの煮付けが美味しく食べられるのも胆汁味噌汁のおかげです。
父親が味噌汁を飲んで「今日は薄いな」と言い、母親が「薄くしたのよ、今日は取れないから」と答えるシーンで胆汁味噌だと確信しました。
家族の体調が悪くなった原因は?
家族に異変が起きるのは明らかに監禁おじさんがいなくなったからです。
①の方に書きましたが、監禁おじさんは厄除けの役割をしていたので、おじさんがいなくなって孫家族に「不幸」がダイレクトに入ってきたからだと思われます。
厄除けが途切れると起きる出来事には順序があり、それを両親や祖父母は知っていたので、厄除け行為(犠牲者を作る行為)は神様か何かとの契約のようなものなのかもしれません。
1度始めてしまうと、やめた時に今まで受けてきた「幸福」と同等の副作用的なものが起こるのかな?など思って見てました。
おばの死は偶然?
孫はおばさんに頼まれて薪割りしていると、誤って斧でおばさんの頭をかち割ってしまいました。
おばさんは薪割りの直前に「死んだらVRゴーグルを外して上の世界で本当の自分に戻れる」「早く上の世界に行きたい」と言っていたので、おばさんは殺してもらうために孫に薪割りを頼み、自分から殺されに行ったのです。
犠牲者を作らないと生きられない世界に疲れてしまったのでしょう。
山小屋にあった死体は?
孫は山小屋の中で死体を見つけます。
死体が目と口を縫われていたので、この死体も厄除けのための犠牲者だったようです。
おばは誰も犠牲にしないように山小屋でひっそり生きていましたが、結局は犠牲者を作らないと生きていかれない状況になってしまったということのようです。
映画を観た時は、この骸骨死体が本物の孫のおばさんで、生きていたおばさんは見ず知らずの赤の他人かと思っていたのですが、公式Xを読むと生きていたのが本物のおばさんだったそうです。
おじさんが踊る夢の意味は?
孫は山小屋から逃げ出して山の中で夜を明かした時、監禁叔父さんがダンスを踊っていて、それを家族みんなが楽しみながら観ている夢を見ました。
孫は家族皆が笑っているのもおじさんが楽しそうに踊っているのも怪訝な顔で見ていましたが、夢から覚める直前に笑います。
この夢には、犠牲者を作ることに反対していた孫が、この世界の仕組みを受け入れなければいけないのかもしれないと思い始めているのが表れています。
ちなみに夢に孫の弟が登場せず会話するシーンも全くないのが地味に気になりましたが、仲が悪いのか血が繋がっていないなど何か事情があるのかもしれません。
いじめられていた中学生
いじめられていた中学生は、数日後にはいじめはなくならないと諦めて、自分も自分より弱い相手を見つけることで「楽」な状態を手に入れていました。
中学生はいじめを通して社会の仕組みを学び、自分よりも弱者を見つけたということは仕組みを受け入れ適応したということなのでしょう。
中学生が「俺がなっても良いですよ」と言ったのは「自分が新しい犠牲者になっても良いですよ」という意味です。
中学生は社会に適応する能力はあるものの「こんな社会で生きていくのは辛い」とこの若さで思っていて、夢も希望も生きる執着もなくしてしまっている感じです。
「社会で犠牲になるのは常に一番優しい人か一番弱い人」という誰かの名言を思い出してしまいました。
祖母が出産した意味は?
ラストスパートの祖母の出産にはドン引きしてしまいましたが、家族が普通に受け入れていたということは、これも厄除けをしている家に起こり得るランダムイベントのようなものなのかもしれません。
妊娠出産は大きな幸福のひとつとされますが、それが祖母(高齢者)に起きたというのは「高齢者が若者を犠牲にして一番の恩恵を受けている」ことが表現されていたのかもしれません。
公式Xには「新たな命の誕生と幼馴染みの死とで生と死を対比させた」と書かれていました。
もしかしたら孫も孫の弟も、本当は祖母から生まれたのかもしれないと思いながら見てました。
幼馴染みの男について
幼馴染みの男の家には代々「犠牲者」がおらず、それが幼馴染みの一家が幸せになれない理由だったことがわかりました。
祖父が孫に「あいつとはもう会うな」と言っていたのは、幼馴染みの家が犠牲者がいない(幸せが舞い込まない)家だったからです。
彼は犠牲者を作らずに幸せになろうとしていた(芸術家になる夢があった)けれど、父親が倒れて放っておけず農家を継ぎ、絵の才能を試す機会もないまま農家もうまくいかずジリ貧になっていき、どうしようもない状態になりかけていたと思われます。
幼馴染みの末路は「みんなが幸せになれる方法は存在しない」という答えでもあります。
ラストシーンの意味は?
帰省してから数年後、孫は無事に看護師になり医師の婚約者も出来て、祖父が言っていたような幸せを手にしつつありました。
孫は婚約者の実家に挨拶しに行く途中、一軒家の2階にいる女性がいるのを見かけます。
孫と目があった女性はカーテンを閉めてしまいました。
2階を見られたくないというのはその家には犠牲者がいるということなので、孫はどの家にも犠牲者がいることを知って少しだけ安心する一方で、
犠牲者がいなければ幸せになれないことを改めて実感して、今こうして幸せであることを心の底から感謝したように見えました。
孫が流した涙は幸せに感謝する涙でもあり、犠牲者のいる世界を受け入れてしまった自分や、みんなが幸せになれる方法を見つけられなかったことに対する絶望が混ざった涙だったように見えました。
以上です!読んで頂きありがとうございました(^^)
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