「みなに幸あれ」解説考察①|監禁おじさんの役割とは?幸せか何度も聞く理由は?など | 映画の解説考察ブログ

「みなに幸あれ」解説考察①|監禁おじさんの役割とは?幸せか何度も聞く理由は?など

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みなに幸あれ ホラー

映画「みなに幸あれ」の解説考察をしています!
『キモくてグロくて意味不明』という声が多く上がる異色作。
意味不明が強すぎて考えるのを諦めたくなるレベルでしたが、2回観て感じたことなどをまとめました。

鑑賞済みの方向けの記事です。まだ見ていない方はネタバレにご注意ください。

みなに幸あれ

制作年:2023年
本編時間:89分
制作国:日本
監督:下津優太
脚本:角田ルミ
総合プロデュース:清水崇
原作:短編映画「みなに幸あれ」
出演:古川琴音、松大航也 ほか

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解説・考察、感想など

孫が裁縫を教わるシーン

主人公の「孫」が子どもの頃に祖母からお裁縫を教えてもらうシーンがあります。

一見微笑ましい家族風景ですが、映画を見終わってから振り返ると縫っていた布の色や形、糸の色からして、孫は実は生贄の目と口を縫う練習をさせられていたように見えてきます。

 

横断歩道の老婆の発言の意味は?

孫が横断歩道でもたついていた老婆を助けると、老婆は「年寄りのために若い人たちが犠牲になって申し訳ない」「皆あなたみたいな人だったらいいのに」と言います。

「年寄りのために若い人たちが犠牲になっている」にはこの映画のテーマである「他人の不幸の上に成り立つ幸福」が凝縮されています。

「皆あなたみたいな人だったらいいのに」は普通なら言われると嬉しいセリフですが、この場合は「自己犠牲的な人(不幸でも気にしない人)ばかりになれば、他人の幸福を吸い取る側はもっと幸せになれる」という意味に聞こえるので怖いです。

 

幸せかどうか確認するのはなぜ?

祖母は何度も孫に幸せかどうか聞きます。
この一家の生贄を管理しているのは祖父母なので、ちゃんと「幸せ」が家族全員に行き届いているかどうか確認せずにはいられないのかもしれません。




外を走っていた村人たちは何をしてた?

孫がアルバムを見ようとした時、外で近所住民らしき人々が誰かを追いかけている様子を見かけます。
彼らは生贄もしくは生贄にしようとした人間が逃げたので捕まえようとしていたようです。

明らかに異常な雰囲気なのに孫が特に不審がったりしないのは、子供の頃からたまに見かけていた光景だったからだと思われます。

 

監禁されていたおじさんの役割は?

みなに幸あれ

(C)2023「みなに幸あれ」製作委員会

家に監禁されていたおじさんの役割を考えます。
おじさんは目と口を糸で縫われ、お腹には穴を空けられて下着姿で家の2階に監禁されていました。

祖父母は「この人のおかげで私たちの幸せが成り立ってる」と言っていました。
孫の家族が幸せなのは、このおじさんが犠牲になってくれているからのようです。

おじさんが死んでしまった後に起きた現象から考えると、孫の家族がおじさんの幸福を奪っている(吸い取っている)というよりは、本来なら孫の家族に起こるはずだった不幸(災厄)をおじさんに吸い取ってもらっているような印象を受けました。

つまり監禁おじさんは厄除けや呪い避け、魔除けなんかに使われる「人形(ひとがた)」と同じです。
「ひとがた」は人の形に切った紙に自分の名前などを書いておくと、その人の厄を「ひとがた」が代わりに吸い取ってくれる古くから伝わる厄除けのひとつです。
「ひとがた」は一定期間経ったら海や川に流したりお焚き上げをして清めます。
ホラー好きな人はひとがたが使われるシーンを見たことがある人も多いのではないでしょうか。

普通なら紙や藁などで行うお祓い行為を、映画の世界では人間で行なっていたようです。

監禁おじさんはまぶたと口を縫われていました。
目と口を封じられていたのには感情表現を封じられているような印象を受けました。
逆に耳と鼻は感情表現できない受け身の器官だから無事だったような気がします。

目と口を封じることに別の意味もあるとしたら、犠牲者(搾取される側)は常に情報を制限され、物申す権利も与えられないということが表現されていたのかなとも思ったりしました。

 

人間を厄除けにしていたのはなぜ?

この映画の宣伝文句でもあり、母親が言っていた「地球上の幸せには限りがある」をヒントにすると、孫が住んでいる世界では「幸せ」の量に限りがあるようです。

これは周知の事実のようなので、人々はこの世にある幸せを少しでも多く頂くためには別の人間に不幸になってもらうしかありません。
厄除けをせず世界のみんなで幸せを平等に分配するとどうなるのかはわかりませんが、リンゴ1個を100人で分けるようなことになるのかもしれません。

幼馴染みの男が言っていた「みんなが幸せになれる方法」は、人間の数そのものを大幅に減らすことでしか実現しないのではないでしょうか。

「厄除け」をするのが人間以外の動植物などではダメだったのは、幸か不幸かという価値観が人間にしかないことが関係ありそうです。

 

監禁おじさんが変だったのはなぜ?

孫は幼馴染みと協力しておじさんを救出しますが、おじさんはまともではなく、どちらかというと動物のようでした。

おじさんが普通の人ではなかったのは、人間による厄除け行為(犠牲者を作る行為)を完全に受け入れていたからだと思われます。
おじさんは厄除けシステムの犠牲者であり、家畜同然に扱われることを「誰かが犠牲にならないといけないから」と受け入れてしまった結果、意識まで家畜化してしまったのではないでしょうか。

現実的な場面でも、税金の仕組みや上司の指示など「不満はあっても受け入れるしかない状況」は沢山ありますが、こういった「考えるのをやめて(バカになって)全てを受け入れた状態」を極端に表したのが監禁おじさんのキャラだったのではないかと思っています。

②に続きます。
読んで頂きありがとうございました(^^)

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