映画『私の男』の主人公、腐野花(二階堂ふみ)をメインに解説考察しています。
『死んでしまった花の家族』『母の死体を蹴る花』『ペットボトルの水を飲まないのはなぜ?』『お金をせびる老婆のフラッシュバック』『花が結婚した理由』についてです。
鑑賞済みの方向けの解説考察記事です。まだ観ていない方はネタバレにご注意ください(__)
映画『私の男』概要紹介
この記事で言及する登場人物
腐野花…二階堂ふみ
9歳の頃に地震と津波で家族を失い、親戚と名乗り避難所に現れた淳悟に引き取られ、一緒に暮らすことになった少女。
淳悟は実の父親だとわかるが、成長と共に男女の関係になる。
腐野淳悟…浅野忠信
孤児になった花を養子にして育てた男。
花の実の父親だが、表向きは遠い親戚で養子縁組の親子。
尾崎美郎…高吉健吾
花が成人してからの初めての恋人。花の勤務先の社長の息子。
映画では淳悟が怖くなり花と別れているが、小説では結婚している。
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解説・考察
映画の花は、原作小説の花よりもメンヘラな部分を強調して描かれていたように感じました。
この記事では、映画と小説の違いも見ながら腐野花について考えます。
死んでしまった花の家族
原作小説には、地震が起こる直前の花と家族の様子が描かれています。
花の両親は奥尻島で民宿を経営していて、花の母は元ホステスです。
花の母は21歳の時に当時10代後半だった淳悟と一緒に住むことになり、22歳で花を産みました。
震災当時9歳だった花には、中学生の兄と小学校低学年の妹がいました。
兄と妹は2人とも父(花の母の夫)にそっくりなのに、花だけ顔立ちが全然違っていました。
また、民宿の近所に住んでいた父の姉夫婦は花の事情を知っていて、兄妹は親戚の子として可愛がるのに対し、花だけはほぼ無視されていました。
花の母も、感情的になると花だけに厳しくすることが多かったようです。
これらの事情で、花は兄と妹と自然に溝が出来てしまい仲良くできませんでした。
当時の花は自分だけ嫌われる理由が分からず悩んでいたものの、花の母の夫は事情を知っていたにも関わらず、花を他の兄妹と平等に接したため、花の中で父の存在が心の救いのようになっていました。
花は母の死体を蹴り、顔すら思い出せなかったのに対し、花は義理の父を『自分を必死で守ってくれた頼もしい存在』と記憶していて、顔もちゃんと覚えていました。
花と義理の父との関係も、花が「淳悟になら何をされても良い」と思えてしまう要素の一つになっています。
母親の死体を蹴る花
9歳の花が避難所で母親の死体を見た時、花はまるで動物などの生死を確かめるかのように母の死体を蹴りました。
普通の親子なら花は母にすがって大泣きするような所ですが、それをせずに蹴って生死を確かめるあたり、花は母親が好きではなく、むしろ嫌いだったのでは、と考えられます。
ちなみに原作小説では母の死体は見つかっておらず、花が死体を蹴ることもしないので、映画の花はよりサイコパス風に描かれているように感じました。
花の母がどんな人物だったのかはほとんど描かれないので推測するしかないですが、少なくとも淳悟は花の母を『後腐れの無い関係』を楽しんだかのような懐かしみ方をしていました。
第三者目線で見れば、花の母は一時的に預かった親戚の青年と不倫してしまうような女で、一般的には倫理観に欠ける人物のようにも見えます。
見方を変えて、花の母が『淳悟の元恋人』という点に注目すると、花の無意識下にある『淳悟の女を徹底的に排除しようとする姿勢や独占欲』を表現していたようにも思えます。
一方で、花が『性』に早熟だったのは、花の母の普段の行動が関係していたのではと推測がチラッとよぎりました。
子どもは親を見て学び、真似をしながら成長します。
花は母親に無意識の嫌悪感を抱きつつ、似る所は似てしまったというか、男を思い通りに動かす方法や、男の心の掴み方を母から学んだのではないでしょうか。
水を飲まない花
(引用:http://blog-imgs-88.fc2.com)
花が水を飲まないのも映画オリジナルです。
原作小説では、花がペットボトルを持ち歩くのは奪われるのを恐れ、キャップを自力で開けられなかったからで、淳悟がキャップを開けてやると一気に水を飲みます。
映画では淳悟がキャップを開けてやっても花は水を飲みません。
花が水を大事にするのは、生きることへの執着よりも、『自分の物』に対する執着の方が強いことを示してしたのではないでしょうか。
避難所で出会った老婆に「お金持ってない?」と聞かれた時、花はお金を持っていない代わりに「水飲む?」と言いますが、いざ老婆がペットボトルを開けてやろうとすると嫌がります。
老婆が信用出来ず、ペットボトルごと取られるのを恐れたからです。
また、家も家族も失って避難所に連れてこられた花は、少しでも不安と孤独感を和らげるためにペットボトルを抱きしめていたように見えます。
そんな花が車の中で、淳悟が「俺はお前の物だよ」と言われたとき、花は淳悟を『自分の物』認定し、孤独が和らいだのでしょう。
「お金持ってない?」のフラッシュバック
花が大塩を殺す前、花の脳裏には地震直後の避難所で出会った老婆の「お金持ってない?」の発言がフラッシュバックします。
映画を観た直後は意味がよくわかりませんでしたが、振り返ると「お金持ってない?」と言われた時、花は漠然と『老婆は私から奪うつもりだ』と感じたはずです。
大塩に「淳悟と離れて暮らしなさい」と言われた時、花は『大塩に淳悟を奪われる』と感じたので、『何かを奪われるかもしれない恐怖心』がリンクして、老婆の発言がフラッシュバックしたのではないかと思いました。
花が結婚した理由
花は美郎と別れた後、淳悟の家から出て一人暮らしを始め、裕福なダイスケと出会って結婚を決めました。
東京に出て、成長と共に社会に触れて視野が広くなったことや、男が淳悟だけではないと知ったこと、殺人という罪の意識から逃れたかったこともありますが、1番の理由は花が『普通の幸せと普通の人生』を求めたからです。
当時は「お互いがお互いじゃなきゃだめ」と語り、離れたくなくて人殺しにまでなったのに結局心変わりしてしまう人の心は不思議です。
また、美郎に「大人になればなるほど淳悟の考えていることがわからなくなった」と語っていたのも理由のひとつだと思われます。
原作小説では、花が抱く葛藤や、普通の人生に対する憧れから結婚を決めたことが語られているので、一部引用します。
いままでのどうしようもなく暗い生活から、なんとかして抜け出したいとばかり望んでいた。
取りかえしのつくうちに、きちんとした相手と結婚して、たしかな幸せをつかみたかった。
気味の悪い過去に囚われて、咲かずに、枯れてしまうのはいやだった。
わたしは、まだ若いのだ。
小説『私の男』より引用
『気味の悪い過去』は、大塩と田岡を殺した過去を指しています。
この人となら、と、結婚を決めたときわたしは考えたのだった。
こういう男の人とだったら絶望的に絡みあうのではなくて、息もできない重苦しさでもなくて、ぜんぜんちがう生き方ができるかもしれない。生まれ直せるかもしれない。
不吉さの欠片もない、彼の若さそのものに安堵する気持ちもあった。
わたしは、できるならまともな人間に生まれ変わりたかった。
ゆっくりと年老いて、すこしずつだめになっていくのではなく、ちゃんと家庭を築き、子供を産んで育てて、未来をはぐくむような、つまりは平凡で前向きな生き方に、変えたかった。
そうすることで、手ひどい過去までも、ずるく塗りかえてしまいたかった。
そうやって自分を生き延びさせようとしていたのだけれど、いまこうして、こんな明るい場所にじっと座っていると、わたしのわたしそのものである部分 - 見たことも触ったこともない、魂の部分が、ゆったりと死んで、震えながら急速に腐っていくようにも感じられた。
小説『私の男』より引用
原作小説では美郎が結婚相手なので、『この人』は美郎です。
『絶望的に絡みあい、息もできない重苦しさ』は、花が淳悟と一緒に居た時に感じていたことで、『ゆっくりと年老いて、すこしずつだめになっていく』のは淳悟であり、花は淳悟を暗に反面教師にしているのがわかります。
以上です。読んでいただきありがとうございました。
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