解説、考察、感想など
寝れない夜中に「見ながら寝落ちするか」位の感覚で見始めたのに、うっかり一気に見てしまい気付いたら朝になっていました。
すごく面白かったんですが、疑問に思う部分も多かったので感想を交えながら考察します!
どの辺がノンフィクションなのか
作品の冒頭に「実話を元にしたお話です」みたいな文章が出てきます。
でも内容がハチャメチャなので、見終わった後に「どこか実話だったの?」と思いました。
この疑問の答えは園監督のインタビュー記事にありました。
園監督の友人に『盗撮にハマり、その筋のカリスマになった男』がいて、その人の妹が新興宗教にのめり込んでしまったそうです。
周囲から「脱会させるのは難しい」と言われたものの、彼は妹を追いかけて強引に宗教から脱会させたという体験談がこの映画の元ネタだそうで、園監督はこの友人の体験をベースに数年かけてストーリーを膨らませて脚本を書き上げたそうです。
大まかな流れがノンフィクションということで驚きです!
サソリの元ネタ
(梶芽衣子演じるさそり 引用:https://www.pinterest.com.mx)
一目でわかった方もいたかもしれませんが、ユウが変身した黒づくめの女『サソリ』には元ネタがあります。
1970年にビッグコミックで連載して後に映画化もされた『さそり』です。
冤罪で刑務所に入れられた松嶋ナミという女性が『さそり』と名乗り、刑務所で受けた様々な理不尽に対する復讐をしていく話です。
その人気ぶりから1972年には『女囚702号/さそり』というタイトルで映画化し、こちらも当時ヒットしてシリーズ化されています。
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ユウが壊れてしまった理由
ヨーコを助けるためにゼロ教会の本部へ乗り込んだユウは、警察官やテツに捕まった直後に精神崩壊します。
ユウが壊れたのもかなり突然だったので、理由を考えてみます。
血の涙をヒントに考えてみると、松岡茉優演じるヨーコの親戚の女の子が「本当に悲しいことがあると血に涙が混ざる」と解説してくれました。
つまり、ユウはヨーコに拒絶されたことが心の底から悲しかったということです。
ユウはヨーコを愛し、彼女をゼロ教会から救うことがユウの使命でありすべての原動力で、生きる希望でした。
命を懸けて本部に乗り込みヨーコを救おうとした時、それでも彼女に思いは伝わらず拒絶され、殺されかけてしまいました。
恐らくユウは命をかけて愛した人に拒絶されたことに絶望したのだろうと解釈しています。
ヨーコのためだけに生きてきたユウにとって、そのショックの大きさは計り知れません。
そして、母親の唯一の形見だったマリア様の像が壊されたのがトドメだったように感じました。
コイケが自殺した理由
ユウが精神崩壊したのを見たコイケは、ユウの日本刀で切腹して死んでしまいます。
展開があまりにも急だったので「え、なんでそこで死ぬの?」と疑問でした。
最初によぎった自殺理由は『爆発で警察が来た時、コイケはゼロ教会は終わりだと思い、教会と一緒に死ぬことにした』のかな?と思いました。
他にも考えられた理由はあって、コイケは父親から受けた体罰や性虐待の影響で『恋愛=性欲=罪』と考えていましたよね。
そう思っていることが窺えるのが、彼女が中学時代に好きな男子生徒を見つめながらリストカットしていたことと、両想いになった落合モトキをカッターで殺してしまったとこです。
コイケは恋で心がときめく瞬間を罪と感じてリストカットで自分を罰し、落合モトキを殺したのは恐らく抱きしめられたことで『性欲』を感じ、父親と同じように『いやらしいから罰した』結果殺してしまったのではないかと思っています。
コイケがユウに興味を持った理由は『自分と似ている』という親近感からですが、同時に恋愛感情も抱いていたように見えました。
逆に恋愛感情が無ければあそこまでユウに執着しないですよね。
なので、コイケはユウへの恋心を自覚して、中学時代と同様に日本刀で自分を罰そうとして、その結果死亡した とも考えられる気がします。
ヨーコの洗脳が解けたのはいつ?
(引用:https://www.xxxkazarea.com)
救済会の神父の発言やユウの調べでは『アクター、プロンプターになった人物の洗脳を解くのは絶望的』と言われていましたが、ヨーコはカオリたちと同じ施設には入れられていませんでした。
つまりヨーコは元々それほど洗脳されていなかったからなのでしょう。
廃バスで、ヨーコはコイケにナイフを渡されてユウの股間を切るよう命じられますが、ヨーコは従いませんでした。
また、以前のヨーコはコイケに夢中な様子でしたが、ゼロ教会に入ってからのヨーコはコイケに精神的に頼っているそぶりは一切見せませんでした。
ヨーコはゼロ教会に入った後でコイケが洗脳目的で近づいていたことに気付き、彼女がサソリではなかったことも分かったのでしょう。
それでもヨーコが教会から逃げなかったのは、洗脳されてしまったカオリが心配で信者のフリを続けていただけではないでしょうか。
コリントの使者への手紙 第三章
本作で一番有名なのは、ヨーコ演じる満島ひかりさんが新約聖書の『コリントの使者への手紙 第十三章』を一節をノーカットで暗唱するシーンです。
この手紙はキリストの使徒であり、新約聖書の著者の1人であるパウロがコリントの教会に宛てた手紙です。
この手紙は十六章まである長い手紙で、コリントの教会でモメ事が起きていることを知ったパウロが人を慰める方法や罪を赦すことを促している内容で、中でも十三章は『愛』について教えている一節です。
せっかくなので、ヨーコが暗唱していた部分を抜粋します。
たとえ人間の不思議な言葉 天使の不思議な言葉を話しても
愛がなければ私は鳴る銅鑼(どら) 響くシンバル
たとえ予言の賜物があり あらゆる神秘 あらゆる知識に通じていても
愛がなければ私は何者でもない
たとえ全財産を貧しい人に分け与え
たとえ賞賛を受けるために自分の身を引き渡しても
愛がなければ私には何の益にもならない
愛は寛容なもの 慈悲深いものは愛
愛は妬まず 昂ぶらず 誇らない
見苦しい振る舞いをせず 自分の利益を求めず
怒らず 人の悪事を数えたてない
愛は決して滅びさることはない
予言の賜物ならば廃りもしよう
不思議な言葉ならばやみもしよう
知識ならば無用となりもしよう
我々が知るのは一部分
また預言するのも一部分であるゆえに
完全なものが到来するとき 部分的なものは廃れさる
私は幼い子供であったとき
幼い子供のように語り 幼い子供のように考え
幼い子供のように思いをめぐらした
ただ 一人前のものになった時 幼い子供のことはやめにした
我々が今見ているのは ぼんやりと鏡に写っているもの
そのときにみるのは 顔と顔をあわせてのもの
私が今知っているのは一部分
その時には自分がすでに完全に知られているように
私は完全に知るようになる
だから 引き続き残るのは 信仰 希望 愛 この3つ
このうち もっとも優れているのは 愛
改めて読むと難しくて意味がよくわかりません。
要約すると、愛は完全なものであり、決して滅びないんだよということでしょうか(雑)
ただ、この一節を力強く詠むヨーコは迫力があって最高でした。
ちなみに子供のくだりと鏡のくだりは押井守監督の「ゴースト・イン・ザ・シェル 攻殻機動隊」にも登場しました。
園子温監督の著書で、このシーンについて発言されていたので一部抜粋します。
『普通の映画なら、ここまで長い台詞はいらないと思うところだが、あえて長くしたことで、映画を観た者すべてが彼女(満島ひかり)の演技を網膜に刻み込む瞬間ができた。』
『映画においては、意味が容易にわかって感動するシーンよりも、意味もわからずに感動するシーンのほうが僕は面白いと思っている。
いったい何に感動しているのかわからないのに、心は確実に動いている、というところにこそ謎があって、素晴らしい。
謎があれば、それは長く心に残り続ける。
このシーンはそういう謎を含んでいる。』 (引用:園子温著『獣でなぜ悪い 』より)
初期キャストはヨーコ役 = 吉高由里子だった
園子温監督著書の『獣でなぜ悪い』の中で、当初はヨーコが吉高由里子さん、ゼロ教会のコイケが満島ひかりさんの予定だったことが明かされています。
演技稽古しながら脚本を詰めていくうちに、園監督は「ヨーコ役は満島さんの方が合っている気がする」と感じて配役を変えるかどうか悩んでいた時、吉高さんに映画『蛇にピアス』(2008)の主役オファーが舞い込んだそうです。
吉高さんは『蛇にピアス』で日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞し、一気に女優として名を上げました。
ちなみに安藤サクラさんも当初から出演が決定していたようですが、主演変更前はどんな役だったのか書いてなく、地味に気になりました。
でもどう考えてもコイケは安藤さんがハマり役だったと思います。
以上です!ありがとうございました。
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