押井守監督のアニメ映画『イノセンス』に登場した引用の引用元と意味を考える記事②です。
キムの屋敷に行くあたりから結末までに登場する引用です。





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引用された言葉たち後半
生死去来 棚頭傀儡
読み:せいしのきょらいするは ほうとうのかいらいたり いっせんたゆるとき らくらくらいらい
意味:生と死が繰り返される。棚に吊った傀儡(あやつり人形)が、糸を切ればあっさりと崩れ落ちるように。
引用元:啓発書『花鏡


©2004 士郎正宗/講談社・IG, ITNDDTD
哲学的ですね。
生命の生と死が繰り返される様子を操り人形に例えた言葉で、キムの関与を示すキーフレーズでもあります。
この古語は作中後半にいたるところで登場します。
人の上に立つを得ず
意味:人を従えるリーダーになることも、リーダーに仕えることもできない人間は、道端に倒れる(落ちこぼれる、行き倒れる)のがお似合いだ。
引用元:警句集『緑雨警語

キムがどんな人物なのかをトグサに説明する際にバトーが出した引用です。
キムは社会に馴染めず落ちこぼれて、汚い仕事も請け負うハッカーになったと言いたいのでしょう。
ロバが旅に出たところで
引用元:西洋のことわざ
こちらもバトーがキムを説明するときに出した引用です。
ロバは西洋では「馬鹿・愚か者」という意味で使われることがあります。
愚か者がビッグになろうと思って旅に出ても、本質が変わらない限り何をしたって変われるはずがないという意味です。
バトーはキムに対してかなり辛口ですね。。
寝ぬるに尸せず
読み:いぬるにしせず
意味:死んだように眠ってはいけない
引用元:啓発書『論語

死んだふりをしていたキムにバトーがかけた言葉です。
死んだフリなのはわかってるぞこのやろーと言っています。
未だ生を知らず 焉んぞ死を知らんや
意味:まだ生について十分に理解していないのに、どうして死を理解できるだろうか。
引用元:孔子『論語

バトーとキムの会話でキムが出した引用です。
死を理解することは難しいとバトーに訴えています。
多くは覚悟ではなく愚鈍と慣れでこれに耐える
人は死なざるを得ないから死ぬわけだ
引用元:『箴言集

バトーとキムが死について話していた際にキムが出した引用です。
1行目は難しいですが、2行目が訳してくれています。
人体はゼンマイを巻く機械であり
引用元:『人間機械論

キムの屋敷で2度目の無限ループに陥った際にバトーが出した引用で、人間を人形や機械に例えた一文です。
普通のマシンは人の手で充電なり修理なりをしなければならず自分で自分の世話ができないが、人間は食べることや寝ることなど生命維持に必要な行動(機械で言うゼンマイを巻く行動)を自分で出来るので、機械にとって人間は永久運動の見本になる、ということです。
最近は勝手に自分で充電して勝手に動いてくれる掃除機なども登場しているので、永久運動に近づきつつあるかもしれませんね。
神は永遠に幾何学する
引用元:プラトン(哲学者)
無限ループにはまったトグサの脳内でバトーが出した引用です。
神様はずっと哲学的なことを考えているよね、という意味でしょうか。
無限ループに居ることを暗に伝えているんだと受け取りました。
理非なき時は鼓を鳴らし攻めて可なり
理非なき時は 鼓を鳴らし 攻めて可なり
意味:どうすれば良いかわからないときは、激しく攻めて良し。
引用元:『論語』孔子
ロクス・ソルス社へ乗り込む前にバトーが出した引用です。
非常にバトーらしい言葉だと思いました。
鳥は高く天上に隠れ 魚は深く水中に潜む
鳥は高く天上に隠れ 魚は深く水中に潜む
引用元:警句集『緑雨警語』斎藤緑雨
こちらもロクス・ソルス社へ乗り込む前のバトーの引用です。
この発言の後に映る鳥は、素子がバトー(とトグサ)を見守っている目線だと思われます。
バトーは恐らく素子を思いながら言っているので『鳥=素子(ネットの世界を自由に旅している)、魚=バトー(決して表に出ない9課の人間)』と捉えると、お互いがいるべき場所にいるということでしょうか。
ちなみに全文は
鳥の声聴くべく、魚の肉啖うべし。これを取除けたるは人の依怙なり。
意味は
『鳥は空高くに、魚は深い水中に隠れながら生きている。
人は鳥の鳴き声を美しいと感じるので殺さず、魚は鳴かないので人は魚を殺して食べる。
このような扱いの違いは人間のエゴで決められる。』
のような感じになると思います。
全文を見るとバトーは「素子がいないと寂しいと感じるのは俺のエゴなのか?」と自問自答しているようにも感じます。
聖霊は現れたまえり
聖霊は現れたまえり
意味:聖霊が現れた
引用元:聖歌『Veni Sancte Spiritus』

©2004 士郎正宗/講談社・IG, ITNDDTD
バトーがロクス・ソルス社の船に潜入し、素子と再会したときにバトーが出した引用です。
単純に、やっと素子に会えて嬉しいという意味です。
何人か鏡を把りて 魔ならざる者ある
魔を照すにあらず 造る也
即ち鏡は 瞥見す可きものなり 熟視す可きものにあらず
意味:どんな人でも鏡を持つと心に魔がとりつく
鏡は魔を映すものではなく 魔を生み出すものだ
よって鏡はたまに見る程度にするのが良く じっと見つめるものではない
引用元:警句集『緑雨警語

ハダリたちを倒しているときに素子がつぶやいた引用です。
こちらを攻撃してくる同じ姿の人形たちは、同じハダリの姿をしている素子にとっては『鏡(魔)』そのものです。
鏡(ハダリ)をよく見てしまうと、自分も魔にとりつかれそうな気分になったのかもしれません。
前作で素子が自分と同じ容姿の他人(素子と同じ型のボディを使用している一般人たち)を見て悩んでしまっていたので、その頃の感情を思い出してしまうのもあるのかもしれません。
鳥の血に悲しめど
意味:鳥は声をあげるので殺すと悲しまれるが、魚は声がないので誰も悲しまない。声があるものは幸せだ。
引用元:斎藤緑雨(小説家)『緑雨警語

ロクス・ソルス社で助けた女の子がバトーに怒られて泣き出したとき、素子が出した引用です。
『鳥=人間、魚=人形』に例え、言葉で意思表示ができる人間は幸せであり、動くことも喋ることもできない人形がいかに可哀そうかを語っています。
が、女の子に聞こえるように話していたかは不明です。
引用は以上です!難解な台詞まとめは次の記事です。
引用は網羅しているつもりですが、見落としがあるかもしれません。発見次第修正していきます。
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