映画「火垂るの墓」の主人公・清太は居候中になぜ働かないのか調べました。
鑑賞済みの方向けの記事です。まだ見ていない方はネタバレにご注意ください。
制作年:1988年
本編時間:88分
制作国:日本
監督・脚本:高畑勲
原作小説:「アメリカひじき・火垂るの墓 」野坂昭如 著
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清太がクズと言われるのはなぜ?
(C)野坂昭如/新潮社,1988
「火垂るの墓」の清太といえば、妹の節子を守りながら戦時中の日本を必死に生き抜こうとする切ないキャラクターとして有名です。
しかしながらネットの検索画面で「火垂るの墓」と入力すると、検索の上位に
「火垂るの墓 清太 クズ」
というワードが表示され、映画レビューにも似たようなコメントが多数あるので驚きました。
清太がこんなにも批判されるのはなぜなのでしょう。
空襲で家をなくした清太たちは西宮に住むおばさんの家に居候させてもらいます。
清太は居候の身でありながら学校にも行かず、働かず、おばさんの家事を手伝うこともなく、ただずっと節子と一緒に過ごしています。
おばさんは清太の態度に苛立ち嫌味を言ってみたりご飯を減らしたりすると、清太は耐えかねて節子を連れて家を出てしまいました。
当時の14歳位の少年少女は学校に通うか、兵士として戦争に参加するか、農場や軍需工場で働く(社会で何らかの役割を担う)のが「普通」であった中、
清太の働きもせず学校にも行かないという行動は異常だったのです。
清太がクズ呼ばわりされるのもなるほど納得ではあります。
清太はなぜ働かなかった?
清太はなぜ学校にも行かず働きもしなかったのか
それは節子のため以外には考えられません。
清太が学校に行ったり働こうと思ったら、その間は節子の面倒を誰かに見てもらわなければいけなくなります。
もし預けるとしたらおばさんか近所の人になるのでしょうが、身の回りのお世話をしてもらっている上に節子を日中預かって欲しいとは言えなかったのでしょう。
おばさんは気が強い人だったのでただでさえ言いにくいですよね。
それに、節子を誰かに預けている間にまた空襲がきたら、預けた相手が節子を命がけで守ってくれる保証はありません。
節子を安心して預けられる人がいなかった(大人を信用していなかった)点も清太が働かなかった大きな理由ではないでしょうか。
そうなると、せめて清太は家事を手伝えよと思いますが、
当時は家事は女性の仕事という固定観念が根付いていたこともあり、元々はお金持ちの家の子で家事を教わったこともないだろう清太には家事手伝いをしようとは思いつかなかったのかもしれません。
清太はおばさんに言われるがまま母の大切な形見と交換した白米をおばさんと半分こしたりしていたので、身の回りのお世話をしてもらうのと交換という感覚だったのかもしれません。
おばさんの感覚としては金目のものを渡すなどの支援は当たり前で、さらに働いてきて家にお金も入れてくれたら文句はないという感覚だったのではないでしょうか。
それでもお米を約8kg(一斗は約15kg)も寄付してくれた清太と節子に対して「疫病神」は言い過ぎだと思います。
個人の価値観の問題なのでどちらが正しいとは言えませんが、
おばさんは清太が働くなら、その間節子の面倒を誰がみるのか一緒に考えたり
清太は家事を手伝ったりするなど
お互いに寄り添っていれば家出まですることはなかったでしょうし、そうすれば清太も節子も生きていたのかもしれないと思いました。
まぁ寄り添える程の心の余裕がお互いになかったということなのでしょうが。。
清太について、高畑勲監督はインタビューで
むしろ社会抜きの生活を求めていた」
というようなコメントを残しています。
清太は社会的なつながりを拒絶したことで自滅したということで、
これは「人間は社会生活抜きでは生きられない」という本作の大きなテーマのひとつでもあります。
昭和の時代と比べると遥かに自由な生き方ができるようになった現代では、良くも悪くも社会生活における人間関係は希薄になりつつあります。
本作には、社会生活の大切さ、他人同士でも助け合う気持ちを忘れてはいけないというメッセージが込められているのでしょう。
読んで頂きありがとうございました。
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