映画「火垂るの墓」の原作著者の実体験について書いています。
鑑賞済みの方向けの記事です。まだ見ていない方はネタバレにご注意ください。
制作年:1988年
本編時間:88分
制作国:日本
監督・脚本:高畑勲
原作小説:「アメリカひじき・火垂るの墓 」野坂昭如 著
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「火垂るの墓」は原作著者の実体験が元だが…
(C)野坂昭如/新潮社,1988
映画「火垂るの墓」の原作は野坂昭如の短編小説です。
原作小説「アメリカひじき・火垂るの墓」は1967年に雑誌掲載され、翌年に本になりました。
「火垂るの墓」は著者の野坂昭如が戦時中に妹を亡くした実体験を元に書かれています。
ただ野坂氏が語っていた妹「恵子」が亡くなった時の話を知ると、「火垂るの墓」は脚色がかなり加えられていたことがわかりました。
野坂氏は生まれてすぐに実母が亡くなり、兵庫県神戸に住む親戚の養子になります。妹の恵子は養母の子です。
野坂氏が14歳、恵子が1歳の時に空襲で一家は離れ離れになってしまい、野坂氏は恵子と2人でしばらく暮らさなければいけない状況になりました。
野坂氏は恵子の世話を彼なりに頑張っていたようですが、飢えに耐えきれず恵子の分のご飯まで野坂氏が食べてしまったり、
恵子の夜泣きがひどく隣人から怒られた時は、恵子の頭を殴って泣き止ませていたそうです。
野坂氏が恵子と暮らして約2週間後、恵子は栄養失調で死んでしまいました。
その後、小説家になった野坂氏は恵子に対する懺悔の気持ちから「火垂るの墓」を執筆したのだそうです。
ちなみに、短編小説「アメリカひじき」は「火垂るの墓」の続編のような立ち位置にある物語です。
「火垂るの墓」の清太は死んでしまいますが、清太が「もし生きていたら」という設定で書かれた話なので、興味のある方は読んでみてくださいね。
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婦人公論.jp:野坂昭如が綴る『火垂るの墓』の原点「食欲の前には、すべて愛も、やさしさも色を失った」
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