『LAMB/ラム』解説考察|マリアが生き残った理由、ラストの意味、キリスト教とギリシャ神話との関連など | 映画の解説考察ブログ

『LAMB/ラム』解説考察|マリアが生き残った理由、ラストの意味、キリスト教とギリシャ神話との関連など

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ラム ダークファンタジー

映画『LAMB/ラム』の解説・考察をしています!
アダ親子の正体、キリスト教とギリシャ神話との関連、マリアが生き残った理由などについて書いています。

鑑賞済みの方のための記事です。まだ観ていない方はネタバレにご注意ください。

ラム

原題:DÝRIÐ
制作年:2021年
本編時間:106分
制作国:アイスランド、スウェーデン、ポーランド
監督:ヴァルディミール・ヨハンソン
脚本:ショーン、ヴァルディミール・ヨハンソン

キャスト紹介

マリアノオミ・ラパス
山間にポツンと建てられた家に暮らす羊飼い夫婦の妻。
春に羊が産んだ『何か』を溺愛し、自分の子どものように育てる。

イングヴァルヒナミル・スナイル・グヴズナソン
マリアの夫。マリアと一緒に『何か』を愛し育てる。

ペートゥルビョルン・フリーヌル・ハラルドソン
イングヴァルの弟。売れないミュージシャン。
昔はテレビでMV放映されたことがある程人気だったが、現在はバンド仲間とトラブルを起こしてイングヴァルの家に逃げ込んでいる。

アニカ(マーティンの妻)…マリア・ボネヴィー
アマリー(ニコライの妻)…ヘレン・レインガード・ニューマン
校長…スーセ・ウォルド ほか

あらすじ紹介

ラム

© 2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JÓHANNSSON

北欧の大自然広がる山間で羊飼いとして暮らす夫婦のマリア(ノオミ・ラパス)とイングヴァル(ヒナミル・スナイル・グヴズナソン)は、春の出産シーズンを迎えて母羊たちの出産を手伝います。
そんな中、1匹の雌羊が半人半獣の子どもを産みました。
マリアとイングヴァルはその子を愛し、『アダ』と名付けて自分の子どものように育て始めます。
そんな中、子どもを奪われた母羊はマリアに異議を唱えるかのように鳴き続けたりアダの部屋の周りをうろつくようになり、しまいには家のドアが開いている隙にアダを連れて逃げようとしました。
母羊とアダを外で見つけたマリアはアダを取り戻すと、母羊を群れから追い払いました。

翌年の春、アダの母羊はまだアダの周囲をうろつきます。
耐えられなくなってマリアは母羊を撃ち殺して土に埋めてしまいました。
その直後、イングヴァルの弟で落ち目の中年ミュージシャンのペートゥル(ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン)がマリアたちの家に転がり込んできます。
ペートゥルはアダを見て驚きを隠せず、イングヴァルに「この化け物はなんだ」と問い詰めますが、イングヴァルは「俺たちの生活に口出しするな」と聞きません。

数日後、どうしてもアダを認められないペートゥルは夫婦が寝ている隙にこっそりアダを外に連れ出し、ライフルを向けます。




解説・考察・感想など

アダの姿に最初は驚きますが、花冠を付けるあたりからだんだん可愛く見えてきて不思議な魅力を感じてしまいました。

本作はキリスト教と絡めることも、ギリシャ神話と絡めることもどちらも可能な作りになっているので、アダやアダの父をどう見るかは観客に委ねられている幅の広い映画だと思いました。

この記事ではギリシャ神話の視点から見た解釈、キリスト教視点で見た解釈など書き連ねていきます。

アダの父親は誰?冒頭シーンの意味は?

ラム

© 2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JÓHANNSSON

アダは頭部から右手にかけては羊、その他の部分は人間という超自然的な存在でした。
アダの本当の父親は、ラストに登場してイングヴァルを撃ち殺した大人の羊人間です。
大人の羊人間はじつはスタートから登場していました。
冒頭は、吹雪の中を鼻息荒く歩く何者かの視点で始まります。
この何者かの正体がアダの父親であり、彼はマリアとイングヴァルの羊小屋に侵入してメスの羊が妊娠したのがクリスマスの夜で、翌年の春に生まれたのがアダだったのです。

余談ですが、私は彼が出てくるまでアダはイングヴァルがとち狂って獣姦した結果なのかと疑っていて、ポスターだかで見た『禁断(タブー)が産まれる』はそういう意味か??と思いながら観ていたからです(笑)
弟ペートゥルが何か言おうとしても、イングヴァルは「話し合う気は無い」など最初から突っぱねていたり、トラクターの中で泣いていたのも後悔とかそういう風に見えてました。
羊と人間での自然妊娠は生物学的にありえないのはわかっていますが、映画なので『ありえないことが起きた系』なのかという疑いが捨てきれず・・
でも最後で一気に覆されたのでなんとなく安心しました。

 

ギリシャ神話からみるアダの父とアダの正体

ラム

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ギリシャ神話の視点で見ると、アダの父親は牧羊神パンで、アダがパン神の息子とされる精霊サテュロスだったのではないかという解釈が一番しっくりきています。
パンとサテュロスは『人間×ヤギ』の姿が一般的ですが、時代や地域によって羊だったりヤギだったりするようなのであまり気にしないことにします。

パンは羊飼いと羊たちを監視する牧羊の神で、性格は音楽を愛し欲望に忠実で大変好色(恋多き神)であるとされています。
また、パンは『パニック』の語源になった神様でもあり、小さなことでも何か気に障ると急に激怒して混乱と恐怖をひき起こします。
虫の居所が悪いと昼寝を邪魔されただけでもキレて落石や地鳴りを起こすという、いわゆる癇癪持ちの神様のようです。
アダの父が音楽好きかどうかは不明ですが、監視行動やパニックを引き起こすあたりパン神の性質に当てはまります。

精霊サテュロスはいたずら好きで照れ屋で臆病で、音楽とワインを愛し、パン神と同様に恋多き性格とされています。
また、サテュロスはワインの神様に感謝を示すために頭に花冠を乗せて踊ることがあります。
マリアが花冠を作ってアダの頭に乗せるシーンは、アダがサテュロスである暗示のように見えました。
アダは子どもなのでお酒や性に興味を示す描写はありませんでしたが、照れ屋で臆病で音楽が好きだった点が似ています。

一方でペートゥルがやけにマリアにご執心だったり、マリアとイングヴァルの久々(?)のベッドインは、アダに秘められた性エネルギー的なものの影響かも?と思ったり、マリア、イングヴァル、ペートゥルがアダのお守りを忘れてしまうほど酔ってワイワイやっていたのも、アダの持つお酒好きのエネルギーを受け取っていたからのように見えました。

そもそもマリア、イングヴァルが無条件にアダを愛し、ペートゥルはアダを殺そうとまでしたのに心鏡が一変してしまう状況にも違和感がありましたが、アダが精霊や神の類なら、3人ともアダの持つ魔力に魅了されていたということで納得できます。
さらに劇中に登場したアイスランド童話の『ディンマリン』は、白鳥になる魔法をかけられた王子がディンマリン姫の愛で人間に戻って幸せになるという話です。
特にマリアとイングヴァルは、愛情をかけてアダを育てれば、いつか本物の人間になるかもと漠然と希望を持っていたのかもしれません。




キリスト教視点で見るアダとアダの父の正体

次はキリスト教の視点から考えてみます。
雌羊がアダを身ごもったのがクリスマスだった点や、主人公の『マリア』という名前から、キリスト教に関する題材が組み込まれていることは間違いありません。

さらにギリシャ神話視点だと境界が曖昧だった羊とヤギが、キリスト教視点で見ると羊であることが重要な意味を持ちます。
羊はイエス・キリストの象徴です。
一方でヤギは『羊によく似ているが違う動物』であることから悪魔を象徴します。
アダ父は角の形状は明らかに羊なものの顔はヤギっぽくも見えてきてハッキリ区別できませんが、マリアの夢に出て来たのは明らかに羊でしたしヤギは全く登場しないので、アダの父もアダも少なくとも悪魔ではなかったと思っています。

新約聖書では、神は罪深き人間を救済するために神の子羊(イエス)を人間界に遣わしたとされ、イエスは自ら磔にされ生贄になることで人類の罪を浄化しました。
キリスト教視点で考えると、アダは『神が遣わした子羊』、アダ父が『神』だと言えます。
また、イエス・キリストの母マリアは処女で妊娠・出産(処女懐胎)したので、イエスは人間ではなく神の子(超自然的存在)だったとされています。
そうなると、クリスマスの夜に羊小屋で行われたのはアダの父による羊の強姦ではなく、羊の腹に子を宿す「神の御業」だったことになります。
あの夜倒れた羊さんは、倒れた時点ですでにお腹が大きくて妊娠しているように見えたので、個人的には神の御業だと思いたいです。

 

マリアが見た羊の夢の意味

ラム

© 2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JÓHANNSSON

マリアは雄の羊がギラギラした目でこちらを見ている夢を見て恐怖と不快感を覚えます。
この夢はアダの父がマリアを監視する視線が夢を通して現れていたと思われますが、マリアにとってこの夢は母羊から子を奪った行為に対する羊たちからの抗議であり、大きなプレッシャーになりました。

恐くなったマリアは母羊を殺してしまいます。
子を奪われる気持ちをマリアは誰よりも知っているはずなのに迷わず母羊を殺してしまうのは、マリアの「子どもを失いたくない」という強い恐怖心と、マリアが羊をただの家畜(人間より下位の存在)だと考えている本音が合わさった結果だと思われます。
羊は人間に飼われなくても大抵は自然界で生きていけますが、マリアは羊が居なければ羊飼いでいられないくせに人間的な感情に囚われて羊への感謝や敬意を忘れていたように思います。

次のページに続きます!

2ページ目は『娘のアダはなぜ死んだ?』『アダが目撃したものは?』

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