映画『哭声 コクソン』の解説考察をしてます!
「日本人、イルグァン、白い服の女ムミョンの正体」「ラスト考察」「ルカの福音書との関連」「ジョングが犯した間違いとは?」「毒キノコの意味」「私物の意味」「殺の儀式の真相」などについて書いてます!
ネタバレありきの記事なので、まだ見ていない方はご注意ください。
本編時間:156分
制作国:韓国
監督・脚本:ナ・ホンジン ※代表作:映画「チェイサー」など
この映画のあらすじとキャスト紹介記事はこちらです↓
解説・考察・感想など
難し過ぎる映画に分類される本作。
ナ・ホンジン監督は「様々な解釈ができるように描いている」と発言されていて、疑問の答えは観た人それぞれが導き出すタイプの映画になっています。
筆者は本作を2回鑑賞後、ルカの福音書を読み私なりの解釈をまとめました。
色々ある中の答えの1つとして参考にしていただければと思います。
ルカの福音書との繋がりは?
なぜ心に疑いを持つのか 私の手や足を見よ まさに私だ 触れてみよ この通り肉も骨もある
ルカの福音書 24章37〜39節
ルカの福音書とは医師ルカが書いた文書で、マリアの懐妊からイエス・キリストの誕生、イエスの発言と奇跡の数々、そしてイエスが処刑されてから生き返るまでの出来事がまとめられたものです。
『求めよ、さらば与えられん』や『右の頬を叩かれたら左の頬も差し出せ』なんかがルカの複音書で有名な一節です。
冒頭に登場したルカの福音書24章37~39節はこの文書の最後の節で、死から甦ったキリストが驚く群衆に向けて発した言葉です。
この映画はルカの福音書の内容と類似する部分が多々あるので、かなり大雑把に言うと主人公ジョングをはじめとする神を疑い信じない人や信仰心を忘れた人間の末路が描かれていたのではないかと感じました。
日本人(國村隼)の正体は?
國村隼が怪演されていた謎多き日本人の正体についてです。
私は日本人の正体は神様だったと思っています。
理由はインタビューで國村隼氏本人が「山の中の男(日本人)は人間ではない」と発言されていた点や、車にはねられ崖から落とされても死ななかった(もしくは生き返った)からです。
さらに洞窟での日本人の「なぜ疑う 私の手や足を見よ まさに私だ(以下略)」というセリフは、ルカの福音書においてイエス・キリストが発した言葉でもあるからです。
イルグァンは日本人を悪霊だと言っていましたが、神父も福音書でも「幽霊なら肉体や骨は持たない」とされているので、日本人=悪霊説は間違いだったことになります。
ただ、神は人間たちの信仰に左右される存在で、人間たちが良い神だと信じれば目についた人に良い奇跡を起こし、悪い神だと信じれば邪神となり目についた人に悪い奇跡を起こしていたと思われます。
日本人の神は祈祷師イルグァンによって意図的にネガティブな噂を広められていたので、コクソン村でも最悪の奇跡(呪い)を起こしていたのでしょう。
イルグァンの正体と目的は?
日本人とグルと言われていた祈祷師イルグァンは、具体的には神を利用して金儲けしていた男だったと解釈しています。
イルグァンはどこかで神(日本人)と出会い、神の特性と扱い方を理解した上で利用していたのです。
イルグァンは日本人の不気味な噂を広めることで日本人を邪神に仕立て上げ、呪いにかかった人がイルグァンに助けを求めるのを待ち、実際にお祓いして高額な祈祷料をせしめて自作自演していたと思われます。
恐らくイルグァンは「高名な祈祷師」と評判になるほどには日本人が放った呪いのお祓いに成功したのでしょう。(映画には成功例は出てきませんでしたが)
良い評判がないとそもそも依頼してもらえないですからね。
その他の呪いに見舞われた家族はそもそもお祓いを頼まなかったか、ニュースで言われていた「毒キノコが混入した健康食品」を食べて発狂したかのどちらかなのでしょう。
イルグァンはルカの福音書の、サタンに取り憑かれて金のためにキリストを裏切る使徒のユダがモチーフなのではと思っています。
白い服の女(ムミョン)の正体は?
チョン・ウヒが演じた白い服の女も日本人と同じく「神」と考えられます。
彼女も呪われた人たちの私物を持っていたり、いつも白い服を着ていたり(日本人は白いふんどし)、神出鬼没で名前が無いなど日本人と同じだからです。
白い服の女はジョングやパク・フングクを日本人とイルグァンから守ろうとしていたので、恐らくコクソン村一帯の神様だったのではないでしょうか。
ラストで白い服の女が日本人とイルグァンに敗北したような構図になったのは、主人公ジョングと恐らくパク・フングクも白い服の女を信じず、日本人の呪いの力の方をより強く信じてしまったからです。
信仰心がそのまま力になる神にとっては、神同士の戦いとなると良くも悪くも信じられた方が勝ちになるのです。
日本人とムミョンが持っていた私物の意味は?
日本人と白い服の女は、どちらも呪われた人たちの私物を持っていました。
恐らく神は誰かを呪うにも救うにも、その本人の私物が必要になるのです。
おまじないや呪いなどに髪の毛などが使われる理屈と同じでしょう。
神がその人の私物を持つことで、神と人間の間に縁や繋がりが生まれるのではないでしょうか。
ジョングが日本人を脅したのが間違いだったのはなぜ?
ジョングはヒョジンを助けようと日本人を脅すなどして攻撃しましたが、その後イルグァンにも白い服の女にも「ヒョジンが呪われたのはお前のせいだ」と言われていました。
ジョングの日本人に対する行動は酷かったので日本人が怒るのも当然ですが、ルカの複音書には「人を裁くな そうすれば自分も裁かれることは無い 人に罪を定めるな そうすれば自分も罪に問われない 許せ そうすれば自分も許される」という一節があります。
ジョングは日本人を脅しに行った時点で神が言う「やっちゃいけないこと」を全部やったので、ジョング自身も裁かれる側になったのです。
また、ルカの福音書のキリストの発言に「神を試してはならない」というのがあります。
つまり神を疑って本物かどうか試す行為は神への侮辱になるのです。
ジョングが日本人を殺せるかどうか確かめようとしたのは神を試す行為に当たるので、ジョングは神に対する禁止事項を全部やった上に神を侮辱するというとんでもないことをしてしまったのです。
ちなみにイルグァンの「餌を飲み込んでしまったな」は、ジョングは日本人を崖から落とした時(神を試した時)にイルグァンでも対処不能な呪いのレベルに達したという意味だったと思われます。
黒い犬は何を暗示していた?
黒い犬は「鬱状態」「落胆」「差別、偏見」を表し、例えば英語圏では「I have a black dog.」は「私は落ち込んでいる、私は鬱である」 という意味になります。
韓国では黒い犬に対してどういった意味合いが強いのか詳しくはわかりませんが、これらがもし日本人にも当てはまるなら、彼は少なくとも心に闇を抱えた神(闇落ち寸前?)であるということになります。
かなり妄想が入りますが、日本人神はイルグァンと出会う前は日本のどこかにいた神様でしたが地域の人に忘れられて力を失いかけていて、そんな時にイルグァンと出会ってタッグを組んで(?)しまったのではないかと想像しました。
毒キノコのニュースは何だった?
最初の事件の加害者パク・フングクの体内から毒キノコの成分が大量検出されていたり、ニュースでも「毒キノコ入りの健康食品を食べて精神錯乱状態になる者が続出している」という報道がありました。
短絡的かもしれませんが、フングクが毒キノコ本体を大量所持していたらしいので、健康食品に毒キノコを混入した犯人はフングクだったのかもしれません。
この毒キノコには幻覚を見る作用もあったようなので、少なくともイルグァンは毒キノコ混入事件も呪いの存在を人々に信じさせる材料にしていたのではないでしょうか。
『殺』の儀式の真相は?
イルグァンは日本人を殺す儀式をすると言ってジョングの家で『殺』の儀式なるものを行なっていまいしたが、あの儀式には違和感がありました。
イルグァンが人形に打った杭と同じ場所を痛がっていたのはヒョジンでした。
一見イルグァンはヒョジンを儀式で殺そうとしていたようにも見えましたが、お金をもらって依頼を受けたので評判をあげるためにはヒョジンを救わなければいけません。
なのでイルグァンはジョングには「日本人に向けて『殺』の儀式を行う」と言っていましたが、実際にはヒョジンがかけられた呪いに向けて儀式を行なっていて、さらにヒョジンの呪いレベルが高かったので難航していたと思われます。
日本人が行なっていた儀式は何だった?
イルグァンの『殺』の儀式と平行して、日本人は山で見つけた男の死体の周りにロウソクを置き、滝行やら鶏やらで儀式を行なっていました。
ルカの福音書情報から神には未来予知能力があるので、どれだけ詳しく予知できるのかは不明ですが、日本人は自分が襲われる未来を予知して身を守るためにあの死体を蘇らせる儀式を行なったのではないでしょうか。
もうひとつは日本人自身の神の力がどれほどのものか確かめようとしていた可能性もよぎりましたが、神を試してはいけないというルールがある以上は自分を試すこともタブーなのかと思うので、やはり防衛策だったと考えた方がしっくりきます。
また、儀式の最中に日本人が苦しみ始めたのはイルグァンの『殺』の儀式が効いたようにも見えましたが、あれは恐らくイルグァンではなく白い服の女が日本人に呪いを放ったのです。
ラスト考察:イサムが見た悪魔の姿をした日本人は何だった?
イサムは呪いがまだ終わっていないことを知って1人で日本人に会いに行き、洞窟にいた日本人を問い詰めます。
日本人は最初は人間の姿でしたが手のひらには聖痕のようなものが見え、最後は悪魔の姿に変わります。
神は特定の姿形を持たず、見る人の求めているものや理想が神の容姿にそのまま反映するとも言われています。
なので、恐らくイサムは日本人に対する偏見を捨てた状態で洞窟に入り、日本人が布にくるまっているのを見た時にはキリストと重なる部分を見出したので聖痕が見えたのでしょう。
しかし日本人に「お前が私を悪魔だと思うなら、私は悪魔だ」と言われ不気味な笑い声を聞いた時、イサムは日本人を悪魔だと思ったから悪魔に見えたのです。
ちなみに日本人の「私がお前に何もせず帰らせると思うか?」は、「もし私(日本人)が悪魔なら、のこのこ悪魔に近づいてきた人間に悪さしないわけがないだろう」という意味だと思われます。
この後日本人はルカの福音書の最後の一節を唱えていますが、もうイサムには日本人を神かもしれないと思い直すことは出来ませんでした。
ルカの福音書と映画の共通点
映画に登場したルカの福音書と共通点を感じた事柄を紹介します。
汚れた悪霊に憑かれた人
ルカの福音書4章ではイエス・キリストがある町で人々に教えを説いていると『汚れた悪霊に憑かれた人』が現れて、キリストに「あなたは我々を滅ぼしに来たのですか」と問いかけます。
悪霊はキリストの周囲にいる人に疑いの種を植え付けるつもりでこの発言をしますが、キリストは瞬時に悪霊を撃退しました。
『汚れた悪霊に憑かれた人』は映画に登場した「発狂した人々」そのもので、疑うということも映画のストーリーと関係しています。
魚
映画ではヒョジンが魚をドカ食いしているシーンがあったり、日本人が釣りをするシーンが何度か登場します。
ルカの福音書5章では、魚が取れないと言われる湖でキリストが大漁の奇跡を起こしたり、24章ではイエス・キリストが生き返ったことを周囲に証明するために魚を食べて見せるくだりがあるなど、神にとって水や魚は身近である印象を抱きます。
ヒョジンが魚を食べるのは神に目を付けられた証拠であり、日本人が釣りをするのは日本人が神であることを暗示していたと思われます。
豚
事件が起きた家の離れの小屋に豚が1匹いるのが見えます。
ルカの福音書の8章にも悪霊に憑依されて自殺する豚が登場します。
映画の豚は呪いを暗示するものとして登場したと思われます。
岩の上に落ちた種
これは個人的に感じたことで実際にそうかはわからないですが、ルカの福音書8章でキリストが「神の言葉は種のようなものである 岩のような人間は神の言葉を喜んで聞きはするが、岩に種をまいても根を生やせないので、試練の時が来ると信仰を捨てる」というようなことを言います。
主人公ジョングが岩の上で泣き叫ぶシーンが印象的だったので、ジョングはキリストの言う「岩のような人」に当てはまるのではないかと感じました。
鶏
映画では、白い服の女がジョングに「鶏が3回鳴くまで自宅に入るな」と警告するシーンがあります。
ルカの福音書22章にも鶏が登場します。
キリストが使徒のペテロに「お前は鶏が鳴くまでに、私のことを3度知らないと言うだろう」と予言します。
ペテロは「イエス様を知らないなどと私が言うわけない」と反論しますが、キリストは罪人として連れ去られてしまい、その後ペテロはキリストと一緒に裁かれることを恐れて周囲の人に「キリストなど知らない」と3回否定してしまいます。
鶏の登場は、ペテロが否定したはずの運命の通りになってしまったように、ジョングの前に現れた最後の希望だった白い服の女(救いの女神)を信じるチャンスもジョングは逃してしまう(家族を失うという運命が確定してしまう)ことの前触れだったように感じます。
水ガメのある家
ジョングの家の庭には醤油を仕込んでいた大きな水ガメがありました。
ルカの福音書22章では、イエスは処刑される前日に12人の使徒と一緒に食事する場所として「水ガメを所有する男の家」を選んでいます。
ちなみに有名な絵画「最後の晩餐」に描かれているのはこの時の食事の様子です。
映画「哭声」においてジョングは悪い意味で神に選ばれていたことが暗示されていたと思われます。
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