映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』解説考察|太宰が目を開いた理由、小説との関係など | 映画の解説考察ブログ - Part 2

映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』解説考察|太宰が目を開いた理由、小説との関係など

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人間失格 ヒューマンドラマ
©2019 映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』製作委員会

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ラスト考察:太宰はなぜ自殺を渋った?

富江(二階堂ふみ)が太宰に心中を迫った時、太宰は「やっぱり明日にしよう」などと言って富江に自殺を踏みとどまらせようとしていました。
太宰の生き方ははたから見れば死に急いでいたように見えますが、実際には太宰は生きている実感というものが死にかけた時だったり背徳行為によってしか得られず、無意識の生きている実感(生への執着)欲しさから不倫に走ったり病気を放置したりしていたように見えました。
つまり太宰の死に繋がる行為は生きたいの裏返しです。
太宰はシメ子の時と同じく富江と死ぬ気はなかったので、結び方を変えられて焦ったのです。
今死んでしまったら『人間失格』の世間の評価もわからないし、美知子と子どもとの関係も壊れたままになってしまいます。

富江は太宰が本当は心中する気がないことや、今を逃せばもう二度と会えないだろうことも女の勘でわかっていたので、強引に太宰を道連れにしました。

 

ラスト考察:太宰の死後、美知子が元気だった理由は?

太宰の死体が上がったと記者たちから報告を受けた美知子は、雨が上がったと言って洗濯物を干します。
このシーンは、長年太宰の不倫に苦しめられてきた美知子が、太宰の死によって良くも悪くも解放された(気分が晴れた)ことを意味しています。

美知子は夜に「もうだめかも」とつぶやいたり、太宰に「家庭を壊してほしい」と頼んだり限界が来ていたのは明らかなので、もし太宰が死んでいなくても、富江は太宰と別れていたと思われます。




ラスト考察:太宰が目を開けたのはなぜ?

富江と心中するまでのやり取りのあと、エンドロール直前で太宰は水中で目を開きます。
よく見るとエンドロール直前とオープニングのシーンで太宰の服装が一緒なので、最後に目を開くのはシメ子と入水した時の太宰であり、服装の違いから富江と心中した太宰ではないのがわかります。

このシーンには太宰の生への執着だったり、または坂口安吾が言っていた「地獄に落ちて書け」という台詞の回収として、死後に太宰が地獄で目覚めた瞬間を描いていたように私は感じました。
仏教においても不倫や自殺は地獄行きになる罪になります。
お祭りの日に太宰が見た笑う子供たちとかざぐるまも、賽の河原で石積みをする死んだ子ども達を連想させますし、太宰はこの時点で既に『死』に片足を突っ込んでいることが暗示されています。

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参考サイト様一覧

青空文庫:人間失格

 

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