映画「わたしを離さないで」ネタバレ解説|伝えたいテーマ、ヘールシャム閉鎖の理由など | 映画の解説考察ブログ - Part 2

映画「わたしを離さないで」ネタバレ解説|伝えたいテーマ、ヘールシャム閉鎖の理由など

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ダークファンタジー

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あらすじ④:結末

マダムに会いに行く日、キャシーとトミーは自信作の絵を数枚持ってマダムの家に行きました。
愛し合っていることを少しでも表現するために、2人は手をつなぎました。
突然現れたキャシーとトミーに、マダムは戸惑いながら家の中に入れてくれました。


(マダムの家を訪れたキャシーとトミー 引用:https://ameblo.jp

2人はマダムに「執行猶予の申請がしたい」と言って絵を見せていると、ヘールシャムの施設長だったエミリーが現れます。
エミリーは「執行猶予なんてものは初めから存在しない。
芸術は、クローンに『魂があるかどうか』を確かめるために作らせていた」と告げました。

キャシーはこうなることを何となく予想していたため受けとめますが、トミーはショックで言葉を失いました。

帰り道の途中、トミーは車から降りて思いきり泣き叫びました。
キャシーは泣き叫ぶトミーを、ただ抱きしめて慰めることしかできませんでした。

数日後。トミーは3回目の提供で終了しました。
手術の様子を見られる部屋で、トミーの臓器が取り出されていくのをキャシーは静かに見守りました。

2週間後。キャシーの提供開始が1ヵ月後だと知らせる通知が届きました。
キャシーはかつてヘールシャムがあった場所に行き、更地になった草原を眺めながら、なぜクローンは『本物の人間』のように生きてはいけないのか、なぜ命を捧げて彼らを助けているクローンが『本物の人間』から嫌われ差別されるのか考えますが、答えはわかりませんでした。

キャシーは天国でトミーとルースと再会できることを願って涙を流しました。




解説、考察や感想など。

医療に利用されるクローンたちが少しでも生きる希望を見出すために、根も葉もない噂や言い伝えなどを信じ、翻弄されてしまう悲しい話でした。

個人的に気になったシーンを考察します。

ヘールシャムがなくなった理由

キャシーたちがヘールシャムから出てすぐに施設は閉鎖されています。
施設長のエミリーは、キャシーたちが施設にいた頃の集会で
私たちを排除しようとする勢力と戦うのは容易ではありません。
彼らは根拠のない価値観と固定観念を尊ぶのです。でも、私は屈しません
と発言しています。
つまり、この頃からすでにヘールシャムの存続は危うかったのです。

また、エミリーはヘールシャムを『臓器提供の倫理を実践する最後の場』とも話していました。
クローンも人間であることを証明するために、ヘールシャムの子どもたちに芸術作品を作らせてクローン医療を利用する『本物の人間』に見てもらう活動をしていたのです。

芸術作品を見るためにヘールシャムによく来ていたマダムは、先生たち本物の人間とは普通に接しますが、クローンの子どもたちとは目を合わそうともせず触れることも嫌がりました。
つまり、マダムはクローンを『自分たちと同じ人間と認めたくない』と思っているそれなりの権力者だったと思われます。
彼女がクローンも人間だと認めれば、クローン達の扱いは見直されていた可能性があるのです。

しかし、ヘールシャムの閉鎖や大人になったキャシーとトミーがマダムの家を訪ねた時も、マダムはキャシーたちを避けたので、エミリーの活動は失敗したのでしょう。
ならなぜマダムとエミリーが同じ家に居たのかは疑問になってしまいますが、マダムについては原作小説にもっと詳しく書かれているかもしれません。

キャシーとトミーが猶予申請のお願いをしたとき、エミリーは2人にこう話していました。
誰かがこう聞いた。
『また昔のようにガンや神経性疾患で苦しみたい?』
答えは『ノー』よ。

人類は、クローンから臓器を得ることでガンや神経性疾患を克服しました。
クローン医療という臓器提供システムがなくなれば、人類はふたたび臓器移植が必要な病気や怪我などになったとき、いつ現れるかわからないドナーを待ち続けて苦しむことになります。

クローンも魂のある本物と同じ人間だと認めてしまえば、クローン技術を生み出した意味すらなくなってしまいます。
なので自然とエミリーたちの活動は排除されていき、ヘールシャムは閉鎖に追い込まれました。

 

ルースが猶予申請に行くキャシーを喜べなかった理由

キャシーがトミーと猶予申請しに行くことをルースに伝えたとき、ルースはニコリともせず、ただキャシーの報告を受け流しました。
ルースが2人に猶予申請することを勧めたのは本心からだったはずで、キャシーとトミーに幸せになって欲しい、許してほしいと思ってしたことです。

ですが、キャシーがルースに報告したとき、ルースは3回目の提供手術を直前に控えていました。
つまり、死が目前に迫っていたのです。
心から愛する人がいて、もしも猶予制度が実在すれば将来に少なからず希望があるキャシーと、すでに臓器を2つ取られて死を待つばかりのルース。

ルースはキャシーと自分の状況を比較してしまい、あの時は素直に喜べなかったのでしょう。

 

「わたしを離さないで」が伝えたいテーマとは?


(引用:http://blog.livedoor.jp

本作は救いようのない、後味の悪い作品と言えますが、その裏にはキャシーがラストシーンで話していた””『生』とは何か?””を考えさせられる作品になっています。

人々の価値観は、時代の移り変わりによって変化していきます。
現代では、生きることに特別なテーマや目的を付けがちで、死を意識する場面や、衣食住や周囲の人に心から感謝するような場面は、特に若い頃はないことが多い時代です。
本作は恋愛や友情やその他の経験、それにともなう感情すべてを体験し、学ぶのが人間であり生きることだと伝えているように感じました。

人との関わりの大切さを再確認してもらうことも、この作品のテーマだと思います。
しかしストーリーが残酷すぎて伝えたいテーマが薄れてしまいそう…と感じたのは私だけではないと思います。
それでも鬱映画が嫌いではない私にとっては、わりとグッとくる映画でした。

以上です。読んでいただきありがとうございました。
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・参考記事
柴犬こちゃの幕末・維新史跡探索ノート
Who is Judy Bridgewater ? _『わたしを離さないで』 by カズオ・イシグロ

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