「インビクタス/負けざる者たち」ネタバレ解説|黒人が自国を応援しなかった理由、ラグビーと南アについてなど | 映画の解説考察ブログ

「インビクタス/負けざる者たち」ネタバレ解説|黒人が自国を応援しなかった理由、ラグビーと南アについてなど

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ヒューマンドラマ

映画「インビクタス/負けざる者たち」についての解説と考察をしています!
「ネルソン・マンデラについて」「フランソワ・ピナールについて」「ラグビー派の白人とサッカー派の黒人」「黒人ボディガードが白人との仕事を嫌がった理由」「地元の黒人観戦客が南アを応援しなかった理由」「マディバが妻と娘から嫌われていたのはなぜ?」「タイトルの意味」「マディバの名言紹介」など書いてます。

原題:Invictus
制作年:2009年
本編時間:132分
制作国:アメリカ、南アフリカ
監督:クリント・イーストウッド
脚本:アンソニー・ペッカム
主題歌:『INVICTUS 9,000 Days』Overtone and Yollandi Nortjie

キャスト&キャラクター紹介


(引用:https://www.cinemacafe.net
ネルソン・マンデラモーガン・フリーマン
反体制派のリーダーとして27年間もの間 刑務所に収監されていた黒人政治家。
生涯を通じて、黒人差別をはじめとする差別文化の意識改革やアパルトヘイトの撤廃に尽力した。
出所後はアフリカ民族会議(ANC)の代表を務め、南アフリカ共和国初の黒人大統領となった。
国民や側近たちからはマディバの愛称で呼ばれている。
多くの黒人からは愛されているが、妻と娘からは距離を置かれている。

 

インビクタス
(C)2009 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.
フランソワ・ピナールマット・デイモン
南アフリカ出身のプロラグビー選手。
南アフリカのチーム『スプリングボクス』のキャプテンとして試合に出場する。

 

ブレンダ・マジブコアッジョア・アンドー
マンデラの秘書。
いつもマンデラのそばに付き、時に衝動的な行動をする彼に冷静なアドバイスをするが、大抵はマンデラに説き伏せられてしまう。

 

ジェイソン・シャバララトニー・キゴロギ
ネルソン・マンデラ大統領付きの黒人ボディガードで、ボディガードチームのリーダー。
常にマンデラの身の安全を第一に考えて行動する。
マンデラの就任初日、因縁のある白人公安たちと一緒に仕事をさせられることになる。

 

あらすじ紹介

1994年4月。マディバ(モーガン・フリーマン)は南アフリカ共和国初の黒人大統領に就任します。

マディバは『白人至上主義』の風潮が根強く残る南アフリカから人種差別を失くして、真に1つの国にしたいと切望していました。
そのための第一歩として、マディバはラグビーに目をつけます。

翌年の1995年に開催されるラグビーワールドカップの開催地が南アに決まり、全国民の注目がラグビーに集まっていました。
ラグビーは当時、南アメリカにおいては『白人と富裕層がするスポーツ』『アパルトヘイトの象徴』というイメージが強いスポーツでした。

南アフリカ代表チームの『スプリングボクス(通称ボクス)』の選手は全員白人でしたが、マディバはスポーツ大臣に働きかけて、ボクスに黒人選手を投入しました。

マディバは白人も黒人もいるボクスがワールドカップで優勝すれば、4300万人の南ア国民を一致団結世させて、世界にも南アが『変わった』とアピール出来ると考えました。

しかし、キャプテンのフランソワ・ピナール率いるボクスは明らかにチームワークに欠けていて、メンバーのやる気もなく、その日の試合は惨敗でした。

それは、マディバの就任と、それに伴うアパルトヘイトの撤廃が不満だった白人選手が多かったことと、黒人がチームに加わったことが原因でした。
最近は批判の声も高まってフランソワはクビになるのではという噂までありました。

マディバは大統領邸にフランソワを呼び、直々に「ワールドカップで優勝して欲しい」と伝えました。

 

解説、考察や感想など

主人公のネルソン・マンデラ氏について


(ネルソン・マンデラ氏 引用:http://south-africa.jp

本作は、ラグビーチームの成長過程だけを楽しみたい方であれば知らななくても大丈夫ですが、主人公の南アフリカ共和国 第8代大統領ネルソン・マンデラについての基本的な知識がなければ冒頭から置いてけぼりにされてしまう可能性があります。
マンデラ氏がどのような人物かを知った上で見ると より楽しめるので、はじめにマンデラ氏についてザックリですが経歴などをまとめます。




ネルソン・マンデラの半生

マンデラは1918年に南ア トランスカイのとある村で生まれ育ちました。

大きくなると、秀才だったマンデラは南アフリカの大学に進学します。
大学時代は※反アパルトヘイト運動に参加して1校を退学、その後 南アフリカにある別の2つの大学に入学・卒業しました。

大学卒業後の1944年、26歳の時に※アフリカ民族会議(ANC)に入党します。

※アパルトヘイトは、当時の南アフリカで推進されていた人種隔離政策のことです。
南アフリカにはオーストラリア系の白人が多く住んでいて、白人とそれ以外の人種(主に黒人)を差別する政策が進められていました。
具体的に言うと、労働面では白人は良い待遇で働けて、黒人は低賃金などの悪条件でしか雇わなかったり、教育面では白人と黒人の共学を禁止にしたり、白人と白人以外の人種の恋愛を禁止したりなどがありました。

 

※アフリカ民族会議は、1921年に発足した南アの黒人解放運動組織です。
ネルソン・マンデラは1944年にANCに入党、やがてリーダー的存在となり1991年~1997年まで代表も務めました。
ANCは当初、非暴力主義を掲げて地道に活動を行っていましたが、1960年に起こった※シャーピブル虐殺事件をきっかけに武力闘争路線に移行しました。

 

※シャーピブル虐殺事件は、1960年当時、アパルトヘイト政策を進める南アフリカ政府に対して抗議活動を行った黒人たちが大勢殺された事件です。
69名死亡、180名以上が負傷しています。

ANC入党後はリーダー的存在となり、いくつものストライキやデモの先頭に立ってアパルトヘイト反対を主張し、次第にマンデラはアパルトヘイト推進派の政党から目を付けられるようになりました。
1960年以降、ANCが武力闘争戦術に移行した後も軍事組織の司令官を務め、1962年(44歳の時)に逮捕されます。
1964年に国家反逆罪で終身刑を言い渡されますが、ネルソンは獄中でも勉学に励み、1989年(71歳の時)には南アフリカ大学の通信制過程を追えて法学士号を取得したり、その他にも語学の勉強や、本作のメインとなるラグビーの知識を得たりしています。

マンデラは獄中でも人種差別反対を唱え続けて解放運動の象徴的な存在となり、次第に国中からマンデラの釈放を求める声が高まりました。
そして1990年(72歳の時)の2月、ついにマンデラは約27年もの刑務所生活から解放されました。
本作はマンデラが刑務所から釈放された1990年から始まります。

その後、マンデラは全ての人種が選挙権を得られるように活動を続け、1994年の4月に全人種による総選挙が行われました。
この選挙で、マンデラは南ア初となる黒人大統領に選ばれ、1999年まで大統領を務めました。

1994年に大統領となったマンデラはアパルトヘイトを撤廃しても、まだこの国に根強く残る差別文化をなくそうと努力します。
そのためにマンデラが目を付けたのがラグビーでした。

1995年のラグビーワールドカップの開催地が南アフリカ共和国だったことはご存知の方も多いと思います。
そして、南アのラグビー代表チームのスプリングボクスは世界的にも知名度の高い強豪チームだったので、メディアも国民もラグビーに注目していました。
当時、南ア内でラグビーは『白人と富裕層がするスポーツ』という強い印象があり、実際、マンデラが大統領になるまでボクスのチームには白人しかおらず、『スプリングボクスはアパルトヘイトの象徴』とされていました。

マンデラはその印象を利用して、黒人選手をスプリングボクスに入れた上で、ボクスのラグビーワールドカップ優勝を狙いました。
白人も黒人もいる新しいスプリングボクスが優勝すれば、対立が多い国民の団結力を高め、国外に対しても南アが変わったのだとアピールできるからです。

 

スプリングボクスのキャプテン フランソワ・ピナールについて


(マンデラ大統領(左)と、笑顔のピナール(右) 引用:https://www.rugbyworldcup.com

準主演となる、マットデイモン演じるラグビー選手フランソワ・ピナールは、南ア出身のラグビーユニオンプレーヤー(15人制ラグビーのプロプレーヤー)です。
ピナールは自国でのワールドカップ開催に合わせた1993年~1996年までスプリングボクスのキャプテンに就任していました。
1994年にマンデラが大統領に決まった当初、マンデラが最も嫌うアパルトヘイトの象徴だったスプリングボクスはチーム自体がなくなるか、チーム名やチームカラーを変えさせられるだろうと予想されていましたが、マンデラはスプリングボクスの外見ではなく中身を変えることで、国民全体から差別意識を払拭しようとします。




ラグビーをしていた白人の若者とサッカーをしていた黒人の子どもたちについて


(騒ぐ黒人の子どもたちと、それを見てポカンとする白人の子どもたち Invictus © 2009 Warner Bros. Entertainment Inc.)

冒頭の、ラグビーをしている白人の子どもたちと、道路をはさんで向かいの広場でサッカーをしていた黒人の子どもたちのシーンについてです。

当時、南アフリカ内でラグビーは、『白人か富裕層の者たちがするスポーツ』という印象がありました。
ラグビーのルールは複雑で、教育が行き届かない貧困層の者たちには、小難しいイメージがあり受け入れられなかったのでしょう。
そのため、貧困層の若者たちの間で人気のスポーツはサッカーでした。

このシーンは、南アのそういった状態を表している場面です。
その広場と広場の間の道をマンデラが乗る車が通った時、黒人の子どもたちは大喜びして車に手を振りますが、白人の子どもたちは、なぜ黒人の子どもたちが騒いでいるのか分からずにキョトンとしていました。
マンデラは黒人にとっては大人から子供まで知っているような人気者の超有名人でしたが、白人の子どもたちにとっては日々の生活にあまり関わりのない(興味がない)人物だったようです。
ラグビーのコーチをしていた白人男性が「この国は終わった」というようなことを言うのは、マンデラの釈放当時に多くの白人国民が感じていたことを代弁しています。

 

黒人ボディガード(ジェイソン)が白人の公安と仕事することに抗議した理由

マディバの就任初日、黒人ボディガードのジェイソンが警備の増員として現れた白人たちを見て、マディバに「俺たちを殺そうとした奴らと一緒に働けるか!」と抗議をします。

この白人たちは公安なので、※シャープビル虐殺事件の時に黒人を攻撃した側の人間だったということでしょう。

※シャープビル虐殺事件はかなりざっくり言うと、白人の警察官たちによって大勢の黒人が殺された事件です。
詳細を知りたい方はWikipediaをどうぞ!

ジェイソンの抗議に対し、マディバは「『和解』の見本を示せ」と教えて説得しています。

次のページに続きます!




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