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ノートンの事件をどうやって暴いた?
アンドリューが脱獄した後、ノートン所長とハドリー刑務主任は逮捕されました。
アンドリューは『ランドール・スティーブンス』になりすまして銀行で金を引き出した後、女性に封筒を渡しています。
この封筒が警察の手に渡ったことでノートンとハドリーは逮捕されました。
封筒の中には恐らく、ノートンの横領の詳しい経緯や裏帳簿の一部、ハドリーの囚人に対する暴力についてが記載されていたと思われます。
ノートンはともかく、この時代は防犯カメラなどの設備が十分ではないのでハドリーの罪の決定的な証拠をアンドリューが用意するのは難しい気がしますが、アンドリューの告発がきっかけで他の囚人や看守に聞き込み調査をした結果逮捕に至ったと想像しています。
選択肢は2つだけ 必死に生きるか必死に死ぬか
アンドリューとレッドの会話の中で、仮釈放された後は『必死に生きるか必死に死ぬか』どちらかしかないと語られています。
刑務所は小さなコミュニティなので、それなりに顔も知られて仲間に恵まれる場合もありますが、1度刑務所に入った者がそこから出ると、冤罪だろうがなかろうが前科者のレッテルを貼られ、町で危険人物扱いされて冷たい待遇に耐えながら生きることを強いられます。
最初に仮釈放されたブルックスは50年以上も刑務所で暮らし、仮釈放を心底嫌がっていました。
ブルックスは刑務所生活に慣れ切った高齢者だったこともあり、今から1人でシャバに出されてもどう生きれば良いか見当も付かなかったのです。
恐らく彼の同年代の友人や家族は皆すでに亡くなっていたいたのではないでしょうか。
ブルックスは厳しい世界に置かれて精神疲労が溜まり、死に希望を見出して『必死に死ぬ』選択をしてしまいました。
アンドリューが『希望を持つことが大事』という一方で、レッドが『希望は危険だ』と反対意見を言ったのは、レッドもまた必死に死ぬ側の人間の思考回路になりかけていることを示しています。
これらのことは一般社会に生きる私たちにも当てはまることで、本作を通して希望を持つことの重要性が語られています。
レッドが仮釈放を認められた理由
レッドは長年仮釈放を望み続けましたが、面接官にどれだけ印象良くして更生したとアピールしても、毎回仮釈放は認められませんでした。
一方で、仮釈放を諦めて刑務所で一生過ごす覚悟を決めるとなぜか仮釈放の許可が出ました。
前例のブルックスも、仮釈放の許可が出た時は「刑務所に居たい、今更シャバでは暮らせない」と出所を本気で嫌がっていました。
つまり、レッドが仮釈放されたのは刑務所から出たくなくなったからです。
本物の刑務所はそんなことないはずですが、この映画の中の刑務所は最低最悪で、看守と刑務所長は自分の利益だけのために行動し、囚人が更生したかどうかなど関係なく、囚人に対する温情は存在せず、「死にたい」と願えば生かされて「生きたい」と言えば殺されるような世界でした。
『理不尽な世の中』を刑務所に凝縮していたように感じました。
アンドリューとレッドのその後は?
アンドリューはノートンが横領してため込んでいたお金を恐らく全額奪って逃亡していて(横領時はノートンに口座を3つに分けろと指示していて、脱獄後は銀行を何か所か回ったと表現されていたので、恐らく3か所とも回って口座を解約した)、レッドも仮釈放の規則を破ってアンドリューのところに行ってしまいました。
本来なら2人とも警察に追われる身ですが、2人はアメリカからメキシコに国外逃亡しているので、2人を捕まえるにはメキシコの警察の協力も必要です。
なので、2人をそこまで追うかどうかは、アンドリューが封筒を郵送していたあの刑事が決定権を握っていると思われます。
実際にはどうなのかわかりませんが、国外逃亡した犯罪者を探しだすのはかなり手間とお金がかかるので、相当重い罪でないと警察も真剣に探さないイメージがあります。
なので、アンドリューとレッドはアメリカに戻りさえしなければ捕まることはないだろうと推測しています。
ジワタネホで仲良く快適に余生を過ごしていることを祈ります。
七つの大罪との関連
聖書に登場する『神様が定めた7つの罪』とされる『七つの大罪』とも関連付けられていた気がします。
色欲=ボグズ
強欲=ノートン所長
高慢=ハドリー刑務主任
怠惰=トミー
憤怒=レッド(?)
嫉妬=アンドリュー
関連がありそうというだけで、それと物語がどう繋がるのかまでは混乱してきて整理できていません。。わかり次第更新します。
以上です!読んでいただきありがとうございました。
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