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シシ神はなぜアシタカの呪いを解かなかった?
シシ神がアシタカの傷を癒しても呪いを解かなかった理由は、アシタカのセリフ「呪いがわが身をくいつくすまで苦しみ生きろ」に込められています。
よく考えると、シシ神はラストで死ぬまでは誰の呪いも解いていません。
ナゴの守は放置、モロはエボシに撃たれた傷をシシ神に癒してもらったようですが、モロの体に入ったままの鉄のつぶては取りのぞいてもらえず、タタリ神になった乙事主は命を吸い取られます。
乙事主が命を吸い取られたのは、呪いに食い尽くされてこれ以上苦しむ必要はない(呪いが身を食い尽くすまで生きた)と判断されたからだったように見えます。
神様は人間とも動物ともまた違う価値観を持っているので理解が難しいですが、呪いそのものに神様からのメッセージが込められていたか、憎しみから生まれる呪いには神でさえ触れるのを嫌がっていたか、なにか神様なりの思う所があったのでしょう。
鎮西の乙事主はなぜシシ神の森に来た?
鎮西の乙事主は遠くから来た別の森の主です。
乙事主はナゴの守(アシタカが倒した巨大猪)がタタリ神になったと知り、タタラ場の人間に獣たちの怒りを思い知らせるために一族総出でシシ神の森にやってきました。
また、ナゴの守がシシ神に助けてもらえなかった理由を直接モロに聞きたかったのもわざわざ来た理由の一つです。
乙事主は「我々の子孫はみな小さく馬鹿になりつつある このままではいずれ一族は人間に食肉にされる」とも言っていました。
乙事主には、一族はこのまま生き残っても近い将来人間に支配される未来が見えていて、人間に飼われて一族が続くよりも、人間と戦争して絶滅する方がマシだと考えたのです。
イノシシたちが小さくバカになりつつのも、恐らく全国的に人間による自然破壊が進み、自然が持つ力が弱まってきていたことを示唆しています。
『お前にサンが救えるか!?』の意味とは
モロはアシタカに問う「お前にサンが救えるか!?」とは具体的にはどういう意味なのか考えます。
サンはモロの言うとおり「人間にも山犬にもなりきれない存在」です。
サンは人間を憎み一緒に生きることは出来ませんが、かと言ってサンは山犬にはなれません。
モロの一族はモロの子ども2匹が死んでしまうと一族の血が絶えてしまいます。
他の山などに山犬がいれば話は別ですが、モロの様子だと恐らく山犬の生き残りはもうモロたちしかおらず、絶滅するしかない詰み状態です。
サンは人間なので当然山犬の子どもを産むこと(一族を繋ぐこと)は出来ませんし、恐らく山犬よりも長生きするので、モロの子2匹が死んでしまったら本当にひとりぼっちになってしまいます。
モロは親心からそんなサンの将来を心配していたので、アシタカならサンの良きパートナーになれるかもしれないと見込んで「お前にサンが救えるか」に繋がったと思われます。
ラスト考察:シシ神は死んだ?呪いはなぜ解けた?
アシタカとサンはシシ神の首を返した直後、朝日が昇ってシシ神は倒れて消えてしまいます。
個人的な解釈ですが、シシ神は首を奪われてから倒れるまでは「死のエネルギー」のみで動いていて、倒れた直後に起きた大きな風は、神が死んでまた生まれたときの「生命の息吹」だったように見えました。
神は生と死の両方を持っているので、神もまた生と死を繰り返しながら存在しているのです。
アシタカもサンもハンセン病患者も、神のリセットに遭遇して生命の息吹を浴びたから呪いが解けたのかな?と解釈しています。
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