『来る』ネタバレ解説|オムライスの意味、ラスト考察、あれの正体、原作との違いなど | 映画の解説考察ブログ - Part 2

『来る』ネタバレ解説|オムライスの意味、ラスト考察、あれの正体、原作との違いなど

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来る ホラー

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『あれ』の正体は?

原作小説には「あれ」の正体が書かれていたので紹介します。

映画にもちらっと登場した「ぼぎわん」という呼び名は、英語の「ブギーマン」が訛ったものです。
ブギーマンは『人さらいの妖怪や悪霊』という意味です。

ぼぎわんにまだ名前が無かった当時、日本に来た宣教師などの外国人が不気味な出来事に遭遇した際「ブギーマン」と呼ぶのを現地の日本人が聞いていて、それが徐々に訛って「ぼぎわん」になったとされています。

その昔、日本各地で食料不足のため「口減らし」が行われていました。
関西のとある村では不作の年になると幼い子どもを山に捨てていて、捨てた子どもがいつしか山の魔物に取り憑かれて化け物になりました。
その化け物は子供の霊の集合体になり、『生』への執着から人間を襲い、喰らいました。
これが「あれ(ぼぎわん)」の正体です。

映画の中で時折現れた子供達の幽霊は「あれ」の一部で、知紗が「お姉ちゃん」と呼び遊んでいた秀樹の同級生のチサもまた「あれ」の一部でした。

 

田原秀樹(妻夫木聡)はなぜ「あれ」に狙われた?

真琴や琴子は「『あれ』に狙われる理由や原因はわからないし、知る必要もない」と言いましたが、「あれ」の正体を踏まえた上であえて想像するなら、秀樹は「あれ」にさらわれた同級生チサの知り合いだったからだと思われます。

「あれ」は孤独を埋めるために愛する人や思い入れの強い人物を求めてあの世に引き込むのです。

ちなみに原作小説では秀樹が狙われた理由は明かされているので紹介します。
秀樹の母方の祖父の銀二は、過去に自分の子供に暴力を振るって秀樹の母の姉と兄を死なせています。
それは秀樹の母が生まれる前の出来事です。
秀樹の祖母の志津は密かに銀二を恨み、魔除けのお札を魔導符に細工したものを家に飾って銀二を呪いました。

魔導符が効いて銀二は病気になり、最終的に「あれ」に連れて行かれました。
志津は魔導符を処分したくてもできず(置いていたはずの場所からなくなっていて見つからず)放置してしまい、志津自身も「あれ」に連れて行かれてしまいました。




秀樹の魂が自宅にいたのはなぜ?

秀樹の魂が成仏できていないとわかった時、「あれに殺されたのになぜ魂が自宅にいるんだろう?」と不思議に思いました。

「あれ」に狙われると殺された後も魂ごと拘束されたり消滅してしまったりすると思い込んでいましたが、秀樹の魂を見るとそういうわけでもなかったようです。

「あれ」は子どもの魂の集合体なので、子どもは殺されると「あれ」の仲間入りを果たしますが、ある程度大人になると「あれ」の一部にはなれません。
そのため、「あれ」に殺された(食べられた)大人の魂は死後放置されるものと思われます。

 

『ちがつり』の意味は?

『ちがつり』が何度も登場するので何か意味があるのではと思いましたが、この言葉そのものには特に意味がなく、ただ「あれ」に心を乗っ取られていることがわかる目印として使われています。

 

それぞれの心の弱み

どんな人にも必ず弱点(トラウマ、コンプレックス、劣等感など)は存在し、「あれ」はそこに付け込んでいました。
登場人物たちの弱みがどのようなものだったか考えてみます。

田原秀樹(妻夫木聡)

田原秀樹は「嘘つき」と何度も言われていました。
秀樹の弱さは、問題や自分の本当の気持ちにも向き合おうとせず逃げてしまう所です。
秀樹は共感能力や思いやりに欠けるところがあり、それが原因で友人関係や夫婦関係に問題を抱えていました。
秀樹はその問題に気付きながら傷つくのを恐れて向き合おうとせず、相手が問題を突きつけてきても冗談ですまそうとしたり、時には逆切れして問題と向き合おうとはしませんでした。

香奈(黒木華)

香奈の弱みは母親でした。
香奈は「母のようにだけはなりたくない」と強く思い、母親の特徴だった『女性らしさ(メイクやファッション、恋愛など)』を避け過ぎたため、次第にコンプレックスを持つようになっていました。
だから「あれ」が憑りついた時、香奈は自分の母親のようになってしまったのです。

ちなみに香奈は原作小説では死んでおらず、トイレで「あれ」に襲われた後は精神を病んで入院しています。

津田大吾(青木崇高)

津田は一見さっぱりした性格で情にも厚く良い人そうな雰囲気でしたが、実は嫉妬深く人の恋人を奪うのが趣味のような人物でした。
そんな津田のコンプレックスは誰も信じられないことです。
津田は信じられる友人や恋人や家庭を持つことに憧れていましたが、根強い人間不信のせいで信じられる人が出来ずにいました。

野崎に「俺とお前は鏡や」と言うのは、野崎にも少なからず人間不信な部分があることを指していたと思われます。

野崎和浩(岡田准一)

野崎のトラウマは子どもです。
野崎は過去にアヤという恋人との間に子どもが出来ました。
アヤは産みたがりましたが、野崎は人の親になるのが怖かったのか、彼女を説得して堕ろしてもらいました。

子どもを堕ろすのは野崎が自分で選択したことでしたが、後に「子どもを殺した」という罪の意識が芽生え、野崎を苦しめました。

真琴(小松菜奈)

真琴のコンプレックスも野崎と同じく子ども絡みでした。
真琴は過去に無茶な除霊をしたことが原因で子宮が傷つき、子どもを産めない体になっています。
彼女は自分が子どもを産めないからこそ他人の子どもが可愛く見えて仕方ない様子でしたが、自分自身の子どもを産めないことに劣等感を持っていました。

映画では真琴が子どもを産めなくなったのは過去の無茶な除霊でしたが、原作小説では子宮の病気で全摘出しなければならなくなったのが原因でした。

琴子(松たか子)

琴子にも「あれ」が取り憑いたことが、琴子にも心の弱さがあることを証明していました。
琴子のコンプレックスというか密かな悩みは孤独であることです。
琴子は職業柄「死」や「あの世」が非常に身近にあるため、琴子と親しくなると、その人もまた死の危険にさらされる可能性が高くなります。

大切な人は時に弱点になり得ます。
だから琴子は友人も恋人もいないのがベストだと心に決めて生きていますが、琴子も人間なので寂しくなったり、普通の幸せを手に入れたいと思うこともあるのでしょう。

 

ラスト考察:オムライスの夢の意味は?

来る
©️2018映画「来る」製作委員会

拍子抜けするくらい平和なラストシーンでしたが、オムライスの夢がハッピーエンドなのかバッドエンド(またはイヤミス)なのかは見る人によって違ってくると思います。

知紗は秀樹の死後、問題行動が目立ち始めていました。
それが保育園のお友達に靴を投げつけたのに全く悪びれない様子だったり、ラストで血まみれの野崎を見ても平然と笑っている様子です。
これらは、知紗には共感能力の欠如(他人の気持ちを理解する能力が乏しいこと)を意味します。
父親の秀樹も共感能力が皆無だったので似てしまったのではという解釈もできますが、香奈の虐待スレスレの育児も知紗の人格形成に大きく影響しているはずです。

知紗が受けた心の傷は深刻な上に、トラウマを克服するには知紗はまだ若過ぎます。
知紗は秀樹が死んで明らかに不安がっていたのに、香奈は知紗の気持ちに気付かず『良い子』であることだけを強要して怒ってばかりで、挙げ句の果てには真琴に「いらないからあげる」とまで口にします。
そんな知紗が心の痛みから逃避した結果が『オムライスの国』だったのではないでしょうか。

秀樹が理想のブログを作り上げて現実逃避していたように、知紗も辛い現実から逃げるためにオムライスの世界を作りあげたのです。
その後、知紗は恐らく真琴と野崎が引き取ると思われるので、2人の愛情で知紗が幸せになれることを願うばかりです。

原作小説のラストも紹介しますが、こちらはわかりやすくホラーらしい終わり方でした。
琴子は「あれ」を除霊した後、野崎に「この件でまた何かあったら連絡ください」と言ったため、野崎は「あれ」が完全に消えていないことを悟ります。
香奈は精神崩壊して入院していましたが、知紗と再会したことで劇的に回復し、退院してまた親子2人暮らしが許されるほどになりました。
(映画では香奈は死にましたが、小説では生きています)

真琴は知紗への愛着から香奈の育児のサポートをすることに決め、野崎も真琴を応援することにします。
遊び疲れて眠る知紗が寝言で「あれ」が発していた言葉(さむあん、ちがつり)と口にし、知紗の心に「あれ」が生き残っていることが読者にわかりますが、野崎と真琴は異変に気付かず幸せそうに眠る知紗を見守ります。

以上です。この記事がお役に立てていたらハートマークを押してもらえると嬉しいです(^ ^)




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